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SEVEN FOREST PROJECT

UNIVERSAL 世界

2017.12.14 12:21

"あるがままに生きる"


農家になり最もありがたいと感じたのは

なにものにも束縛されない、自分らしい

"働き方"そのものでした


自分を見つめなおし、自分と向きあう仕事をとおして、自分がどういう人間なのか?を

学びなおしていった気がします


前述に記載した"家族"の想いだったり、

"ひと"の力だったり、自然とのバランス

を思い出させてくれたのは

"自分をまっすぐみつめる時間"があった

から。


["自分"という存在から学ぶ]


しかし、とはいっても

社会組織の中で生きてきて

安心だったこと

便利だったこと

保証されていたことが、まったく無くなった

ときの精神的な不安は、言葉では表せません


方向が見えてくるまで

自分らしくありたいと思っても

あるがままにいたいと願っても

現実を目前にすると不安がつきまといます





考えてみると、徳田とわたしは、それまで生まれも育ちも、 働き方もまったくことなる存在でした。


共通の体験は、福祉にかかわり"生活支援"という仕事についたこと


[生活支援という職務]


家がある

家族がある

電気もガスも水もある

わずかな楽しみもある

それで十分


みな人が"生活"していくために必要な最低条件を満たし、支援を受けてさえいれば生きていけるというのです


しかし、本音は、みんな夢や希望がある

ように感じていました。仕事がしたい、遊びたい、美味しいものがたべたい、、、



経済的な支援

肉体的な支援

精神的な支援


仕事として個々に必要な支援を考えていく

うちに、本当に"なりたいもの""ほしいもの"

あたりまえの権利を主張しても

手に入らない社会的(組織的)構図が見えてきたのです


その後、わたしたちは、同時期に仕事をやめ、ふたりでなにもかも手放した"0地点"へ



そこで体験したのは、生活支援という職務にいた自分たちでさえも

経験的(お金)精神的(こころ)肉体的な保障

は、あたりまえの保障ではないのだ

という現実でした


そこで、'泥臭く、でも、潔よい彼らの姿"を思い出しました


生活支援の仕事をする以前も本当は知っていたかもしれないこと


仕事を手放したら今の暮らしはできないし、社会の中で、仕事無しには、わたしたちは、なにものでもないということ


自分たちがたった0地点は

決してハッピーな景色ではなかったけれど

それまで、生活支援をさせていただいてきた

方々の顔が思いだされる日々でした


"universal(世界万有)な視点"


"平等"であることには、たくさんのサポートが

必要です。人それぞれ、あなたもわたしも同じという訳にはいかないのが社会です


ただ、不平等でもかまわないけれど

誰もが同じ立場にたてる権利はある

と私は思うのです


わたしたちは、あなたとわたしが

同じ権利があるということを、自分たちの

立ち位置によって知ることができました




[バリアフリー(障壁を排除する)と同時に

universal (世界)な社会(活動)をめざしたい]


誰しもが、まずは参加できる場を。。


複雑な手続きや段取りをもたず

まずは、体験できる場を!


民間だからこそ社会の補完となるような

自由な発想の支援をしていこう!


障がいがある方、ない方問わず

学校に行かない子や働いた経験がない方

の就労の支援


はじまりは"0地点"の学び


わたしたちも、みんなも、あなたも

才能や個性は違うし、平等ではないけれど

それでも、立っている場所は同じに

違いないのですから^_^