【浅草①013】浅草福井町
町番号:浅草①013
町名:浅草福井町 一~三丁目
読み方:あさくさふくいちょう Asakusa-Fukuichō
区分:町丁
起立:1730(享保15)年
廃止:一・二丁目は1934(昭和9)年5月31日、三丁目は1963(昭和38)年12月31日
冠称:一・二丁目は1911(明治44)年4月30日まで「浅草」、三丁目は1911(明治44)年5月1日から1947(昭和22)年3月14日までを除き「浅草」
現町名:台東区浅草橋一~三丁目
概要:1618(元和4)年、越前福井藩松平家67万石の上屋敷となった地であるが、1725(享保10)年収公され、1726(享保11)年に町屋が開かれ、1730(享保15)年に「浅草福井町」となる。「右地所町銘無之、中場所北場所西場所と唱来候処、追々繁昌仕、町銘無之候ニ付同十五戌年十一月中、町年寄奈良屋市右衛門方之相伺、丸岡町銀杏町福井町と申立候処、福井町と町銘御付被下候」(備考)。
中場所を一丁目、北場所を二丁目、西場所を三丁目としたので、一丁目の北隣に二丁目、西隣に三丁目があるという変則的な並び方になっていた。一丁目は銀杏八幡神社が鎮座し、また河岸物揚場2ヶ所を有し、三丁目に雛人形屋の柏屋があった。
慶応4年5月12日(1868年7月1日)、江戸府に所属。慶応4年7月17日(1868年9月3日)、東京府に所属。1872(明治5)年の戸数619・人口2,304(府志料)。
1878(明治11)年11月2日、東京府浅草区に所属。1889(明治22)年5月1日、東京府東京市浅草区に所属。
1934(昭和9)年6月1日、帝都復興計画の一環により、一丁目が浅草橋三丁目、二丁目が浅草橋二・三丁目に編入となる。
残余の三丁目のみが1943(昭和18)年7月1日、東京都浅草区に所属。1947(昭和22)年3月15日、東京都台東区に所属。1964(昭和39)年1月1日、住居表示の実施により、現行の浅草橋一丁目に編入となり消滅。
撮影場所:浅草福井町一丁目