【浅草①014】浅草新福井町
町番号:浅草①014
町名:浅草新福井町
読み方:あさくさしんふくいちょう Asakusa-Shin-Fukuichō
区分:町丁
起立:1872(明治5)年
廃止:1963(昭和38)年12月31日
冠称:1911(明治44)年4月30日から1947(昭和22)年3月14日までを除き「浅草」
現町名:台東区浅草橋一・二丁目
概要:その昔、この地は鳥越村の内にあった。1674(延宝2)年、出羽秋田城主佐竹右京太夫の邸地とされたが、1718(享保3)年に西北の隅を分割して同族の佐竹左近将監の邸地となった。
1870(明治3)年、出羽久保田藩佐竹家20万5,000石中屋敷、出羽久保田新田藩佐竹家2万石上屋敷を収公して旧桑名藩松平家11万石に給し、翌1871(明治4)年に佐竹分家の屋敷跡を同家に再び給した。1872(明治5)年、両家屋敷を合併し、浅草福井町に隣接しているところから、「浅草新福井町」と称した。同年の戸数48・人口160(府志料)。町内に「七曲がり」と通称される地域があった。
1878(明治11)年11月2日、東京府浅草区に所属。1889(明治22)年5月1日、東京府東京市浅草区に所属。嘗て町内に弁天堂があった。1923(大正12)年の関東大震災で焼失したが町内の有志により、それまでにも増して荘厳なお堂が再建された。毎月13日と26日が縁日で、福井町通りには夜店が多数出て賑わった。
1934(昭和9)年6月1日、帝都復興計画の一環により、東側半分は当時の浅草橋二・三丁目(現在の浅草橋一・二丁目)に編入となって町域が定まる。1943(昭和18)年7月1日、東京都浅草区に所属。弁天堂は戦災で焼失し、現在は浅草橋一丁目33番6号(弁天湯前)に祀られている。1947(昭和22)年3月15日、東京都台東区に所属。
1964(昭和39)年1月1日、住居表示の実施により、現在の浅草橋一・二丁目に編入となり消滅。
撮影場所:浅草新福井町