子供を叱る時
子供にどのように叱っていますか?
ダメなことはどんな小さなことでもダメと伝える。
わからないなら、繰り返し何度も伝える。という叱り方を聞きますが、
私は、そういう叱り方しないです。
一回伝えてわからなかったなら、たぶんその伝え方がダメなのだと思うからです。
また、子供によって全く叱り方や𠮟る事が違うこともあります。子供の叱り方やポイントは子供や状況によっても違うと思っているからです。
野口整体『𠮟り方褒め方』
この本をご存じでしょうか?
「叱ることを時々、怒ることと子供たちに取り違えられることがある。それほど大人の叱り方は下手なのである。褒めることは的にピッタリ当らねば甘く見られる。叱ることは三分的を外さねば逆らう。傷口に直接触れられるのは痛いものである。その痛さから新しい気力 がおこるのであるから、傷口の深さ迄見究めねばならないが、的中必ずしも心を拓かない。褒め、叱るにはたしなみが要る」~本文より
間違っていることを間違っていると言われることは反発を生みます。
私の経験では、ダメな事をしたとき、良いことをするようなきっかけになる言葉をあげたほうがずっとこどもは、変化すると感じています。斜めから言葉を入れるような感じです。
例えば、先日、次女と末っ子が朝ごはんのお味噌汁を残しました。
もう学校に行く時間で、飲む時間がないというのです。
二人には、朝、お味噌汁を飲む?と聞きました。
飲みたくないものを飲む必要は我が家ではないですが、『飲む』といったものを残すのは、我が家ではNGです。
だけど、次女は、お味噌汁が好きで、飲みたかったけど、朝起きるのが遅く、さらに支度にも時間がかかり、飲む時間がありませんでした。飲みたいのに飲めなかったのです。
なので、彼女が気を付けなくてはいけないところは、朝起きる時間とできることの把握です。私は、「もう少し早く起きたら飲めたのにね」と声かけしました。彼女もうなずきました。ここで、飲みなさい!と強要しても、彼女の心には反発が生まれます。それより、飲めなかった残念さを彼女の意識に入れたいと思い、そのように伝えました。飲みたいのに飲めなくて残念だったから、もう少し早く起きる。となるからです。
末っ子は早く起きていました。お味噌汁を飲むといったものの、あまり好きではないので、本当は飲みたくないのでは?と推測されました。
でも、私になんで飲まないの?と言われるのも嫌で、とりあえず飲むといったのかも。
時間はたっぷりあるのに、朝ごはんをぐずぐずと食べて、お味噌汁だけ残しました。
そして、時間になったので、もう時間だといったのです。言い訳に聞こえました。
末っ子にはそうやって、物事をごまかそうとするところがあります。もちろんそれは、波風立てないためにやっていることで、彼の優しい気遣いでもあると思います。
だけど、今回それは、本当に必要だったのか?
彼の意識にきちっと入れる必要があると思いました。
「飲むといったのだから、飲みなさい。」ときつめに言って叱りました。
すると、「時間がない」といったので、
「遅刻してもいいから飲みなさい」と伝えたところ、飲むと言って飲み干しました。
私が彼に伝えたいところは、ごまかしの気持ちです。
それを直球で、「本当は飲みたくなかったんでしょ!」と叱ったとしたら、彼はどうでしょう?そんなことない!とケンカになったと思います。
だれでも、失敗したことをとがめられるのは嫌です。だけど、それを放置しておいたらいいかというとそうでもないこともあります。ポイントは決してつかずに叱る。相手を傷つけずに伝える最良の方法だと思います。だけどそれは、その子の感情や状況など時と場合で変化します。毎回同じわけないです。
冒頭に書いたように、同じことに対して同じように対処することが大切だという考えもあると思います。そのほうがいい子もいると思います。
だけど私は、子供の考えや状況によって、伝えるべきことは変わると思っていますし、その方が効率的だと思います。なにより、相手の思いがあります。その思いとあった対応でなくては、子供には伝わらないと考えています。
叱るのは子供がよりよくなるためであり、ダメな事をしたからではない。
もしかして、叱るということに対しての考えが人と違うのかもと思います。
悪いことをしたから叱るという考えもあると思います。
だけど私は、あまりその意識はありません。子供はそもそも良いことをしたいと思っています。だけど、何らかの理由でそれが叶わなかったため、残念な結果につながっています。どこがダメだったのか。次、より良い方向に行ける為に叱ります。
悪いことをしたから叱るというのは、その子が悪い子であるという意識づけにつながってしまい、危険だと思います。
私が、叱ることでよい方向に向かせるのは、その子が成長したとき、その叱りを自分ですることになるからです。子供が成長していき、失敗します。その時、どうしたらよかったか考え修正することができる子になって欲しいからです。
でも、悪いことをしたから、叱るというのを繰り返されていたとしたらその子は、失敗した時、自分が悪いと思うと思います。そして自分をしかりつけると思います。そのように考えてほしくないので、私はそのようには考えませんし、伝えません。
叱るということについて書いてみて、その奥深さに改めて気がつきました。ほとんど無意識に子供と過ごしておりますが、自分の考えがとっさに子供への叱りに出たりしているんだなと改めてびっくり。
野口先生の本を読みながら、
この話はまた、書いていければと思います。