【浅草①050】浅草永住町
町番号:浅草①050
町名:浅草永住町
読み方:あさくさながずみちょう Asakusa-Nagazumichō
区分:町丁
起立:1869(明治2)年5月
廃止:1964(昭和39)年9月30日
冠称:1911(明治44)年4月30日まで「浅草」
現町名:台東区元浅草一~四丁目、東上野二・三丁目
概要:この地は江戸時代初期から寺院が建てられ、門前町が形成されていた。その頃は「浅草新寺町」或いは「横寺町」と称されていた。
1869(明治2)年5月、誓教寺、善慶寺、延命院、龍福院等、15ヶ寺の門前町が合併して起立。町名の由来は「祝して以て」(画報)、町の発展を祈って縁起の良い名を付けたという。1872(明治5)年、さらに9ヶ寺、松平対馬守、小出丹宮の邸地を併せて町域を拡げた。同年の戸数255・人口992(府志料)。
1878(明治11)年11月2日、東京府浅草区に所属。1889(明治22)年5月1日、東京府東京市浅草区に所属。関東大震災後、町域の西部を現在の清州橋通りが貫通して、町域が削られるとともに東西に2分された。1943(昭和18)年7月1日、東京都所属の際、西側は浅草区から下谷区に編入され、下谷区永住町と浅草区永住町の2町に分断された。1947(昭和22)年3月15日、東京都台東区発足によって、再び1町に統一され、台東区永住町となった。台東区発足の際、各町は1911(明治44)年5月1日に外された冠称を再び付けることになったが、下谷区との大規模な土地分割が行われた当町は松葉町、光月町、神吉町と同様に施行しなかった。
1964(昭和39)年10月1日、住居表示の実施により、元浅草一~四丁目、東上野二・三丁目に編入となり消滅。
元浅草四丁目の誓教寺には葛飾北斎の墓と記念碑がある。
撮影場所:浅草永住町