【浅草①054】浅草松葉町
2017.12.14 15:42
町番号:浅草①054
町名:浅草松葉町
読み方:あさくさまつばちょう Asakusa-Matsubachō
区分:町丁
起立:1869(明治2)年
廃止:1965(昭和40)年7月31日
冠称:1911(明治44)年4月30日まで「浅草」
現町名:台東区松が谷一~三丁目
概要:当地は江戸時代初期に三十三間堂が建てられたので俗に「堂前」と呼ばれていたが、三十三間堂は、1698(元禄11)年、俗にいう「勅額火事」で焼失し、1701(元禄14)年、深川に移された。跡地は寺院街となり、門前町が開かれ、浅草浅留町、浅草坂本町と呼ばれた町が起立した。
浅草浅留町は1699(元禄12)年に下谷山崎町一丁目(下谷万年町)の代地となり、黒鍬組の者が移り住み、黒鍬方五十人拝領組屋敷大縄地になった。浅草坂本町は下谷坂本町の代地である。
1869(明治2)年、正定寺、松源寺等、5ヶ町の門前町と浅草浅留町、浅草坂本町が合併し起立。町名の由来はいつも青々としている常盤木の松にあやかったのであろう。『松葉町誌』によると、名主高松喜内の「松」と二葉伝二郎の「葉」の字を採って名付けられたともいう。1872(明治5)年の近隣22ヶ寺を併合。同年の戸数195・人口921(府志料)。
1878(明治11)年11月2日、東京府浅草区に所属。1889(明治22)年5月1日、東京府東京市浅草区に所属。1943(昭和18)年7月1日、東京都浅草区に所属。その際、北側一部が下谷区に編入、逆に下谷区入谷町の一部を編入。1947(昭和22)年3月15日、東京都台東区に所属。
1965(昭和40)年8月1日、住居表示の実施により、松が谷一~三丁目に編入となり消滅。
撮影場所:浅草松葉町