【浅草①066】浅草山之宿町
町番号:浅草①066
町名:浅草山之宿町
読み方:あさくさやまのしゅくまち Asakusa-Yamanoshukumachi
区分:町丁
起立:江戸期
廃止:1948(昭和23)年
冠称:1911(明治44)年5月1日から1947(昭和22)年3月14日までを除く期間と1948(昭和23)年まで「浅草」
現町名:台東区花川戸一・二丁目、浅草七丁目(入会地だった地域は除く)
概要:古くは一の郷、峡田領。成立年代は不詳だが、寛文江戸図に「山宿丁」とあるから、それ以前の起立であろう。はじめ「山宿」、のちに「山之宿」と改められたが、その年代は不詳。町名の由来は「遠国より金龍山に参詣するものの宿せし所なるにや」(画報)とあるが、定説とはなっていない。はじめ幕府領であったが、承応年間(1652~1655年)に浅草寺領の年貢地となった。町域内に三囲の社、枕橋への渡し場があり、浅草花川戸町との境は浅草寺物揚場であった。北端は千住と橋場との追分となっていた。1828(文政11)年の家数285軒(町方書上)。1840(天保11)年、北接する丹波園部藩小出氏下屋敷跡地に芝居小屋が移されて浅草猿若町が起立され、川柳に「とんだこと山が河原となりました」と詠まれた。
慶応4年5月12日(1868年7月1日)、江戸府に所属。慶応4年7月17日(1868年9月3日)、東京府に所属。1869(明治2)年、浅草山之宿六軒町を併合。1872(明治5)年の戸数361・人口1,420(府志料)。
1878(明治11)年11月2日、東京府浅草区に所属。1889(明治22)年5月1日、東京府東京市浅草区に所属。1912(明治45)年5月1日、「浅草山ノ宿町」と表記を変更。1934(昭和9)年、帝都復興計画の一環により、大部分が花川戸二丁目の一部、極一部が花川戸一丁目の一部になる。1943(昭和18)年7月1日、東京都浅草区に所属。1947(昭和22)年3月15日、東京都台東区に所属。
1948(昭和23)年、僅かに残っていた町域が浅草聖天町に併合されて消滅。現行の花川戸一・二丁目、浅草七丁目のうち。
なお、そもそもの「山之宿」について以下に詳述する。
「山之宿村」とは江戸期の村名で、豊島郡峡田領のうち。『田園簿』の石高は254石余で幕府領。『元禄郷帳』には「山宿 二百三拾八石余」とある。以後、町並地となり、『新編武蔵』には「山之宿町在方分」とある。
撮影場所:浅草山之宿町