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江戸町巡り

【浅草①074】浅草象潟町

2017.12.14 16:34

町番号:浅草①074

町名:浅草象潟町

読み方:あさくさきさかたまち又はあさくさきさかたちょう Asakusa-Kisakatamachi or Asakusa-Kisakatachō

区分:町丁

起立:1872(明治5)年

廃止:1966(昭和41)年9月30日

冠称:1911(明治44)年4月30日まで「浅草」

現町名:台東区浅草三~五丁目

概要:1872(明治5)年、出羽本庄藩六郷氏上屋敷跡に起立。同屋敷は新吉原への道筋にあたっていたので、「六郷を越えると見える江戸と京」と川柳に詠まれた。町名は、上述のとおり、この地に屋敷を持っていた華族六郷政鑑の旧領地の一地名から採った。六郷政鑑は幕末から明治初年にかけて、羽後本荘で2万余石を領した藩主であった。町名の由来となった象潟は、現在の秋田県南部海岸沿の地で、「出羽富士」と称される鳥海山の西側山麓に位置する。江戸時代、象潟は景勝の地で、「九十九島」、「八十八潟」と呼ばれる島や入り江があり、仙台の松島と並び称された。松尾芭蕉も立ち寄り、「象潟や雨に西施がねぶの花」という句を詠んでいる。しかし、1861(文久元)年の地震で土地が隆起し、景色は一変してしまった。現在は田圃の中に小山が点在している。なお、町域内には、医王院をはじめ、浅草寺旧支院9寺院があった。

1878(明治11)年11月2日、東京府浅草区に所属。1889(明治22)年5月1日、東京府東京市浅草区に所属。

1924(昭和9)年、帝都復興計画の実施により、象潟一~三丁目が分離起立。千束町二丁目が一丁目に、当町の大部分が二丁目(現・浅草四丁目)に、千束町三丁目と田町一丁目のそれぞれ一部が三丁目となった。それにより浅草象潟町は2分され、もとからの町域は約10分の1に狭められた。1943(昭和18)年7月1日、東京都浅草区に所属。1947(昭和22)年3月15日、東京都台東区に所属。

1966(昭和41)年10月1日、住居表示の実施により、一丁目は浅草三丁目に、二丁目ともとからの象潟町は浅草四丁目に、三丁目は浅草五丁目にそれぞれ編入となり消滅。

撮影場所:浅草象潟町

撮影地:台東区浅草四丁目17番1号(曙湯)

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