【浅草①089】新吉原京町
町番号:浅草①089
町名:新吉原京町 一・二丁目
読み方:しんよしわらきょうまち Shin-Yoshiwara-Kyōmachi
区分:町丁
起立:1657(明暦3)年
廃止:1966(昭和41)年9月30日
冠称:「新吉原」、さらに1947(昭和22)年3月15日から1966(昭和41)年9月30日までは「浅草」
現町名:台東区千束三・四丁目
概要:元吉原では「京柳町一・二丁目」の通称であったが、新吉原では一番奥の区域の町名となった。大路に面した地域は「仲之町」といい、大路の極まるところを「水吐尻(水戸尻、水道尻)」、「天神河岸」といった。大路の右側が一丁目で、「元吉原ノ時麹町ニ住セシ傾城屋引移リシニテ元来京都ヨリ来リシ者故ニ京町ト唱ウト 江戸図説ニ京都常元ト云者開クト見エ」(府志料)。大路の左側が二丁目で、「元吉原開基ノ後京都ヨリ引移リシ娼家ナリ 故ニ里俗新町ト呼ブ」(府志料)。紀国屋文左衛門が通い詰めた高尾、播州姫路城主榊原政岺が落籍して越後高田に国替えとなった。紀伊国屋文左衛門が通い詰めた高尾、播州姫路城主榊原政岺が落籍して越後高田に国替えとなった薄雲を抱えていた三浦屋は二丁目にあった。
慶応4年5月12日(1868年7月1日)、江戸府に所属。慶応4年7月17日(1868年9月3日)、東京府に所属。1872(明治5)年の戸数256・人口833(府志料)。
1878(明治11)年11月2日、東京府浅草区に所属。1889(明治22)年5月1日、東京府東京市浅草区に所属。1943(昭和18)年7月1日、東京都浅草区に所属。1947(昭和22)年3月15日、東京都台東区に所属。
1966(昭和41)年10月1日、住居表示の実施により、千束三・四丁目に編入となり消滅。
撮影場所:新吉原京町二丁目