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日本のリッチモンドへ

2017.04.01 06:00

 皆様お元気ですか?新年度を迎えましたが、いかがお過ごしですか?この春は、花見に出かけました。春の風もやわらかく、とても気持ちが良かったですよ。

 東京都北区王子。友人がいるので、休みの夜などに食事に出かけますが、何かの目的以外は滅多に日中に訪れることがありません。ちょうど桜の季節。毎年上野方面に向かう車窓から、飛鳥山の花を見ていたばかりなので、ゆっくり王子を散策いたしました。

 浦和から電車で約20分。 王子駅北口を降りると江戸時代の音無川渓谷を再現した親水公園が現われ、「見事だな!」っと、音無川に張り出した桜が出迎えてくれます。

 小平市を水源とし、練馬区、板橋区を流れる石神井川が、王子付近で「音無川」と名前を変えます。江戸時代には多くの滝もあったそうですが、「あれ?どうして王子で川の名前が変わるのかな?それも洒落た名前に・・・」と考えていると、どうやら、これから先にその答えがあるようです。

 しばらく美しい桜を眺め、今度は線路沿いの飲食店街を赤羽方面に進みます。石鍋屋さんという王子稲荷名物の久寿餅屋を過ぎ、住宅街になろうかという時、「おっすごい森だな!」っと、突如森が現れ、名主の滝公園と書かれた趣のある門が建ちます。

 興味津々で中に入ると、池を中心とした美しい庭園が広がり、奥に進むにつれ山の中を巡っているようでワクワクします。江戸時代に王子村の名主・畑野孫八と言う方が、自宅にこの庭園を開いたのがはじまりで、名主の滝と命名されました。将軍様が鷹狩りの時にもここで休憩され、しだいに庶民にも開放されて、その名が知られるようになったそうです。

 山間を思わせる順路や小さな女滝の流れなど、その風景に日常の疲れが洗われ、「東京でこんな場所があるんだ!」と感激です。

 水の流れを進むとビルの2階半くらいの高さでしょうか?一番大きな男滝が現れ、その大きさと水量に驚きです。現在では地下水を汲み上げていますが、昔は王子には音無川を中心に7つの滝があり、名主の滝はその内のひとつだそうです。思わぬ森林浴に「空気が爽やかかも・・・」木々や滝から落ちる水からマイナスイオンいっぱいで、体に良さそうです。

 名主の滝から少しもどり、毎年2月の初午の夜に、火伏せの凧を頂きに参る、王子稲荷神社へ。特に初午の夜は賑やかで、いつもの居酒屋さんに行くのも、楽しみです。昼間の王子稲荷は数年ぶりで、急な坂を上り奉納された紅白の幟が豊かに棚引く境内に入ります。

「わっ、これは素晴らしい!」っと、昼間に久々に見るお宮は今から873年前の平安時代中期の康平年間、源頼朝の祖先にあたる源頼義が陸奥に向かう途中で王子稲荷を深く信仰し、『関東稲荷総司と崇める』とあるので、それ以上の歴史のあるお宮なのですね。

 朱塗りに黄金輝く彫刻が施された、壮麗な拝殿は、11代将軍徳川家斉公が寄進されたそうで、その威厳を放っているようです。

「この立派な建物、戦火に合わなくて良かった!」と、多くの国宝の建物や文化財が失われた東京。戦前は軍事施設が多かった北区は、空襲の数も多かったそうで、拝殿だけでも現存している事に、本当に良かったなと思いました。

 お宮の裏には、奥宮と願掛け石が祀られています。人の頭の2倍程ありそうな石を、お願いをしながら持ち上げて、想像より軽ければ願いが叶い、重ければ努力が足りず成就まで時間が掛かるそうで私も持ち上げてみました。お願い事は「ヒミツ」です。

「ん?想像より重いかな?もう一度だっ!」と欲張って2度3度持ち上げましたが、1度目は持ち上がった石も、2度目3度目は持ち上がらず、とても重たい・・・。「欲張ったからダメなのかな?」と、お詫びをして後にいたしました

 境内には凛々しい狐や可愛い狐像が出迎えてくれ、昔は山だったのだろうと思う崖に

狐の住処跡など御伽の世界にタイムスリップしたようです。 

 時間はお昼前。線路沿いの道から権現坂を上り、夜にしか来ない、いつもの居酒屋・狸さんでランチを。料亭で長年修行し、威勢の良いマスターが作る料理は、何を食べてもとても美味しく伝統的な和の料理も、炒め物も予想を超えた美味しさです。

 お刺身は特に厳選した魚や、釣りに行った時の鮮度の良い魚ばかりで、浦和からでも食べに行きたくなります。ランチメニューを見て、即座に刺身定食を頼みました。

「おーっ!」と思わず声が出そうに。大きく盛られた鮪や烏賊は、その美味しさの期待を裏切りません。すぐに満席になり、仕方なく帰るお客さんも・・・。

「地名と関係あるのかな?」などと考えながら、狸さんからすぐ目の前の王子神社へ。王子権現と呼ばれていた王子神社は、和歌山の熊野大社の御子神を祀ったそうで、熊野では御子神を「王子」とお呼びし、それが王子権現に因み、地名も王子となったそうです。

 先ほどの王子稲荷と関係の深い源頼義の長男で、八幡太郎と呼ばれた義家が陸奥へ向かう途中に参ったそうで、こちらもそれ以前の長い歴史があります。そして王子神社と飛鳥山の谷間を音無川が流れますが、「日本のリッチモンド」と称されたこの辺り。次回をお楽しみに。