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会津美里町「ソロキャンプ@せせらぎ公園オートキャンプ場」 2022年 春

2022.05.02 11:16

観光鉄道「山の只見線」”の確立のために欠かせないアクティビティの一つであるキャンプ。今日は、市街地近くにあり“都市近郊型”のキャンプ場である会津美里町の「せせらぎ公園オートキャンプ場」に、JR只見線の列車を利用して向かった。

 

「せせらぎ公園オートキャンプ場」は、11.5万都市である会津若松市の中心部から直線距離で5km、旧会津本郷町役場から同2kmという大川(阿賀川)沿いに位置し、“まちなか”の利便性の高いキャンプ場となっている。また,只見線の最寄りは会津本郷駅で、2.6kmという事で徒歩でも移動可能な距離になっている。

今回は、当初このキャンプ場を拠点に会津百名山「高嬴山」と「大戸岳」に登りたいと考えたが、三連泊以上の予約が取れず、「高嬴山」登山のみとなった。

 

「せせらぎ公園オートキャンプ場」での滞在予定は以下の通り。

【一日目(5月1日)】

・前泊した会津若松市から、只見線の列車に乗って会津本郷駅に移動

・下車した会津本郷駅から、輪行した自転車で「せせらぎ公園オートキャンプ場」で移動

・テント設営後、天気が良ければ、周辺散策し買い出し

【二日目(5月2日)】

(周辺散策と列車撮影)

・会津三十三観音(*日本遺産) 第21番札所「左下り観音堂」に行く

・「向羽黒山城跡」に行き、一曲輪跡から只見線の下り列車を撮影

・只見線「大川橋梁」に行き、只見線の上り列車を撮影

【三日目(5月3日)】

・チェックアウト後、「高嬴山」の登山口のある林道一ノ渡戸四ツ屋線に向かう

・「高嬴山」登山

・下山後、会津本郷駅に向かい、只見線の列車に乗って会津若松に向かう

 

滞在期間中の天気予報は、1日が曇りのち雨だが、その後は晴れが続くという。できるだけ、早い天気の回復に期待し現地に向かった。

*参考:

・福島県:只見線ポータルサイト

・東日本旅客鉄道株式会社:「只見線(会津川口~只見間)復旧工事の完了時期について」(PDF)(2020年8月26日)

・福島県:平成31年度 包括外部監査報告書「復興事業に係る事務の執行について」(PDF)(令和2年3月) p140 生活環境部 生活交通課 只見線利活用プロジェクト推進事業

・拙著:「次はいつ乗る?只見線」カテゴリ ー只見線沿線の宿ー / ー只見線の春

 

 


 

 

昨日:5月1日(日)

一昨日(4月30日)、会津百名山51座「舟鼻山」(南会津町ー昭和村)に登った後に移動し、会津若松市内に宿泊。昨日は宿をチェックアウトした後、買い物などをしてから「せせらぎ公園オートキャンプ場」に向かう事にした。

只見線の下り列車は、始発(6:01発)と二番列車(7:43発)の後は午前中に無く、13:01発が三番列車になる。“観光鉄道”を目指す只見線には残念なダイヤなので、この午前中の“空白時間帯”に2本列車を走らせて欲しいと思っている。*下掲出処:(運休前の只見線のダイヤ *筆者一部加工) 交通新聞j社「全国コンパス時刻表」(2008年8月号)

  

用事を済ませ、会津若松駅に戻り、輪行バッグを抱え只見線のホームに向かった。まもなく、キハE120形2両編成が入線してきた。

 

ホームの先にある車庫を見ると、このゴールデンウィークに運行される「びゅうコースター風っこ」号が停車していた。

 

13:05、会津川口行きの下り列車が会津若松を出発。私が乗った後部車両には10名ほどのの客の姿があった。

 

 

列車は、七日町西若松で乗客を増やし大川(阿賀川)を渡った。この大川橋梁から上流に2㎞ほどの場所に「せせらぎ公園オートキャンプ場」があるが、変わらず雨が降っているような空模様だった。

 

 

13:17、会津本郷に到着。私一人が降り、乗る客は居なかった。

 

輪行バッグから自転車を取り出して組み立て。すぐに会津本郷駅前を出発した。

実はこの自転車、「舟鼻山」登山を終え、会津田島駅に向かう際に国道400号線の旧道(廃道)でパンクしたようだった(穴が小さく、輪行バッグに収納した後に空気が抜けていた)。このパンクは、会津若松のサイクルショップで直した。

  

 

駅前から延びる県道219号(会津本郷停車上米塚場)線を350m進むと、会津美里町に入る。会津本郷駅は会津美里町本郷地区の駅になるが、所在地は会津若松市北会津町になる。

 

大川(阿賀川)の堤防に延びる道に入り、1㎞ほど進むと10分ほどで「せせらぎ公園オートキャンプ場」に到着。雨模様で利用客はどうだろうと思ったが、サイト内には多くの車が見られた。

 

キャンプ場の受付場を兼ねた会津美里振興公社の建物内で受付し、自宅から宅急便で送っておいた160サイズの段ボールを受け取った。

受付では、テントサイトが記されたキャンプ場内図と、生ごみ用の青いビニール袋2枚、その他ゴミ用の半透明のビニール袋2枚、400mほど離れた場所にある温泉施設「湯陶里」の案内、そしてキャンプ場のオリジナルシールと、GW期間中のサービス品であるペンライトを受け取った。

 

前会計で、電源無サイトの2泊3日利用料、5,170円を支払った。

 

テントサイトは、予約時に指定していた。キャンプ場全体を見通せると思い、一番奥のB9サイトにしておいた。

 

会津美里振興公社のホームページにもキャンプ場の構内図が掲載されているが、バイクサイトが1つ減っているなど、一部違いがあった。*下図出処:会津美里振興公社「せせらぎ公園オートキャンプ場」URL: https://aizu-misato.jp/leisure/seseragi_autocamp/

  

 

キャンプ用品の入った段ボールからは、テントとグラウンドシートだけを取り出し、買い出しした荷物を持って、B9サイトに向かった。大量の荷物を携えての移動は辛く、この時一番奥のサイトにしたことを悔やんだ。


B9サイトに到着。

  

 

急ぎ、30分ほどでテント設営修了。この後、段ボールを自前のキャリーカートに乗せて運び、テントの中に入れ、全ての準備を1時間ほどで終えた。

 

隣のサイトは利用者なしだったが、向かい側の2つのサイトには家族用の大きなテントとタープが張られていた。両家族とも不在のようで、この時車は無かった。

一休みして、雨が止むのを待ったが、雨脚は弱まらなかった。仕方がなく傘をさして、一番近い2㎞ほど離れたスーパーに、歩いてビールや氷の買い出しに向かった。

 

 

買い出しを終え、夕食の支度をした。雨は降り続いていたが、弱かったので火をおこし、焚火台に備長炭を入れて、暖を取りながらしばらく待った。

その間、買った玉子が10個入りだったので、2泊3日では消費できないと思い、クッカーのフライパンで目玉焼きを作った。そして、炭が熾ってからグリルに入れ、焼肉を始めた。

 

まずは、牛タンを焼いて、チューブ式のネギ塩を載せて食べた。旨かった。

 

次は、牛カルビと牛ハラミ、そして野菜を焼いた。

 

向かい側のサイトは、やはり家族連れで、子供たちがにぎやかだった。ただ、隣は3サイトが空いていた事もあり、周囲には暗闇が広がっていた。焚き火が際立ち、良い雰囲気だった。

 

...しかし、小雨が降り続き、気温も下がってきたので焼肉を終え、タープを閉じ前室を作って“二次会”とした。「舟鼻山」登山後に、南会津町の国権酒造で入手した「紅てふ」を、とりたまご大根の缶詰をアテにして、チビチビと呑んだ。

雨は覚悟していたが、想定外の冷え込みの中、「せせらぎ公園オートキャンプ場」の初日を終えた。 


 


 

 

本日:5月2日(月) 

今朝、起きると雨は雨は上がり、時折陽が差した。

ただ、雲の動きは、刻一刻と変わり、陽差しがあったかと思えば、小雨が降るなど、しばらくは安定しなかった。

 

今日はコメを炊いた。クッカーの鍋に蓋をして、角材を置いて重しにして、湯気と香りに気を配りながら火加減を調節した。

 

 

コメが炊き上がる頃に、上空には青空が広がり、陽が差し続けた。キャンプ場は良い雰囲気になった。

 

 

朝食のおかずは、会津産のアスパラガスをぶつ切りにしてフライパンに入れた。

 

そして、ウィンナーと一緒に炒めた。

 

昨夜あまった蒸し野菜を再加熱し、一緒に更に盛りつけた。コメもまずまずの焚き具合で、朝食を難なく摂る事ができた。

 

 

 

 

朝食後、キャンプ場内の設備を見て回った。*写真は時系列ではなく、順不同

管理棟で、キャンプの受付をする会津美里振興公社の建物は大きかった。

 

管理棟を出て、キャンプ場の向かうと、正面に“会津のシンボル山”で、会津百名山18座「磐梯山」(1,816.2m)が見えた。今日は、山頂が雲に隠れていた。

 

堤防の北よりやや西に目を向けると、会津百名山3座の「飯豊山」(2,105.2m)を含む飯豊連峰の山並みが見えた。この時季は未だ冠雪していて、鮮やかな新緑との対比が美しいと思った。

 

 

テントサイトは、大半が広々しており、テントを2張でもスペースがあまるほどだった。

 

サイトの北辺、大川(阿賀川)沿いからは、会津百名山89座「奴田山(青木山)」(723.3m)などが見えた。

 

電源サイト(10箇所)は、少し狭く、A12、A13などはテント1張でも窮屈な感じがした。

 

トレーラーハウスは1棟で、駐車場所を含め、かなり広いスペースだった。

 

そして、「せせらぎ公園オートキャンプ場」最大の売り、モンゴルゲルサイトは入口近くに並んでいた。

 

モンゴルゲルサイトは、一昨年の6月20日にオープンした。資材は本場モンゴルから直輸入したといいい、ベットやクーラーも完備した宿泊施設になっている。*下掲出処:福島民報 2022年5月2日


 

かまど場は2箇所あった。一つは炊事場の脇。デイキャンプで利用できそうな空間だった。

 

もう一箇所は水辺の近くにあった。しかし双方とも使われている形跡はなく、崩れ壊れているかまどもあった。

 

 

炊事場は中央やや南寄りに1箇所。

 

ただ、流し台は12口と多く、ステンレス製の調理台も置かれていた。

スポンジやタワシ、鉄タワシは種類ごとにバスケットにたくさん入っていて、洗剤も常備されていた。ただ、スポンジは汚れたものも多く、気になる方は持参した方が良いと思った。

 

柱には生ごみ用のポリバケツが2つ置かれていた。各自、受付時に渡された青いビニール袋に生ごみを入れてから、このポリバケツに捨てるルールになっている。

 

 

トイレは構内に男女別の建物が1箇所。管理棟のトイレも使用可能になっていた(8:30~17:00)。

 

トイレは清潔だった。

  

男性用は、小用が2つ、大用が洋座(ウォシュレット付き)が1つ

 

 

 

“せせらぎ”公園ということもあって、水辺が整備されていた。

 

水は本郷放水路の水門から、勢いよく流れてきていた。

 

この豊富な水は大川(阿賀川)を利用した「国営かんがい排水事業会津南部地区」の余水。もともとは、キャンプ場から約6㎞上流にある馬越頭首工の大川取水工から水路を通ってやってきた灌漑用水が、キャンプ場から500mほど離れた場所にある本郷発電所で発電用タービンを回し灌漑用水路に接続し、余水がこの本郷放水路を通り再び大川(阿賀川)に還ってゆくようになっている。

   

「せせらぎ公園オートキャンプ場」の水辺は、“対岸”にある「会津ほんごう水辺の楽校」と共有されていた。

 

広々とした広場を持つ施設で素晴らしいと思った。

  

ただ、子供たちをふくめ、キャンプ場滞在中にこの水辺で遊ぶ人の姿を見かけなかった。水は澄んで綺麗だったが、川底の丸石は水ゴケで覆われ、魚の姿も見られなかった。非常にもったいないと思った。流れる水と同じく川底を清らかにし、魚を放流するなどすれば、子供たちは喜んで水辺に近づき、水遊びの楽しさを知ると思った。

そして、この水が会津盆地の旨い米を作り出し、高低差を利用した水力発電でエネルギーも生み出しているという自然の循環と恵みは、質の高い教育資材になるだろう。この水辺の利用価値は高く、子供たちを中心に広く利用されるべきものと思った。*参考:農林水産省 東北農政局 会津南部農業水利事業所「事業の目的・内容」/ 東北電力グループ 東北自然エネルギー㈱ 本郷発電所

 

 

「せせらぎ公園オートキャンプ場」には広大な広場が南接し、中央にはステージになるような舞台もあった。 野外音楽フェスに最適なロケーションとスペースだと思った。

  

そして、「せせらぎ公園オートキャンプ場」の大きな特徴が、歩いて行ける温泉施設がある事。キャンプ場から南へ400mに「本郷温泉 湯陶里」がある。

 

町の施設だが、現在は岡山県の企業が指定管理者となって運営されている。


 

  

「せせらぎ公園オートキャンプ場」を離れ、日本遺産「左下り観音」に向かった。

大川(阿賀川)の堤防の道を南に向って進むと、白鳳三山として福島百名山(うつくしま百名山)に挙げられている「向羽黒山」(408.6m)の南東斜面が見えた。登山道のある北東面とは違う、岩肌を露出した姿に驚いた。「向羽黒山」には、「左下り観音」訪問後に登る予定を立てている。


堤防の道を気持ちよく進むと、会津百名山36座「大戸岳」(1,415.9m)の山塊が近づいてきた。相変わらず、雲の動きは早く、陽射しは時折遮られた。

 

大石地区家ノ北集落を右手に見ながら、まもなく市道に合流するという場所で、右手(南東)の山の斜面を見ると、建物があった。

 

よく見ると、「左下り観音堂」だと分かった。意外と高い場所にあり、“小登山”を覚悟した。

 

  

大門公会堂の前を右折し、県道23号(会津高田上三寄)線を横切った。駐車場には隣県ナンバーの車が1台、停まっていた。

 

自転車を駐車場の隅に停めて、「左下り観音堂」に向かった。

 

まもなく、旧参道と車参道の分岐になる。旧参道は洗堀が酷く、歩けるような状態ではなかった。看板に記された通り、車参道を進んだ。車参道は急だったが、石敷きの特殊な形状で、滑らず歩くことができた。

 

5分ほどで、上部の駐車場に到着。この先は、全ての参詣者は歩くことになるようだった。

 

舗装道は途中で途切れ、山道になった。中間の傾斜が増した場所の中央にはコンクリート製の石段が設けられていた。

 

10分ほどで道は平坦になり、前方に「左下り観音堂」が見えた。駐車場に止まっていた車の持ち主と思われるご夫婦が1組いた。

 

「左下り観音堂」は、斜面の狭い肩部に建てられている事もあってか、より高く見えた。

 

案内板は2つあり、1つは日本遺産「会津の三十三観音めぐり」のものだった。会津三十三観音第21番札所「左下り観音」は、地元紙・福島民報に連載された“祈りの景色 会津の寺社を巡る”という記事にも取り上げられ、地元有志の方々によって守られ続けている事などが紹介されていた。*参考:日本遺産ポータルサイト URL:https://japan-heritage.bunka.go.jp/ja/stories/story021/ /記事出処:福島民報 2016年6月1日付け紙面

日本遺産 会津の三十三観音めぐり ~巡礼を通して観た往時の会津の文化~
会津三十三観音 第21番札所 左下り観音堂
 建長(*筆者、天長の誤り)7年(830)徳一大師が建立したといわれている。鎌倉時代には、修験道で修業を行う前にこもるお堂として使われていた。
 岩を切り開いて構築した五間(約9メートル)四方、高さ四丈八尺(約14.5メートル)の見事な三層懸造りの堂は、清水の舞台を彷彿させる。もともとは回縁はなかったが、江戸時代「三十三観音めぐり」が盛んになったころに現在の形になったとされている。
 本尊は聖観音、本尊のほかに石像の秘仏が安置され、別に頸無(くびなし)観音と呼ばれる、ごく小さい柱(三寸)が隠されており、この柱を見つけた人に幸福をもたらすといわれている。

 

山の斜面に穿かれた石段が設けられた参道を進み、お堂に行く。左側の大岩に掛けられたという“懸造り”の様子が分かった。

 

お堂に入り、東向きの廻り縁に向かう。開放的な、見応えのある眺めだった。 

 

大川(阿賀川)と、山頂に少し雲が掛かっていたが「磐梯山」も見えた。

 

北側には会津盆地の一部と、冠雪した飯豊連峰が見えた。

  


廻り縁の北側に回ると、突き当りにくり抜かれた岩があり、中に石像が並んでいた。

  

廻り縁を、反対側に回ると、暗闇に丸く照らされた空間があった。洞窟だった。

 

洞窟には、地蔵様が複数体置かれていた。奥の首の無い石像は、“頸無し観音様”といい伝承が残っている。

 

 

「左下り観音堂」を後にする。

県道23号線から町道に入り、北進。少し自転車を進めると田園に突き出た山越しに、飯豊連峰が見えた。突き出た山は「丸山」(302.6m)という。

 

伊佐須美神社の“遷座三峰”第三峰(最終遷座地)で、会津百名山61座の「明神ケ岳」(1,074m)も見えた。

 

そして、その南には“遷座三峰”第二峰で、会津百名山33座の「博士山」(1,481.9m)が、少し山肌に雪を残し屹立していた。

  

 

少し進むと、切り崩された小高い山があった。

 

会津本郷焼を知ってから訪れたいと思っていた大久保山砕石場だ。チェーンの張られたゲート越しに、看板をズームで撮影した。

 

伝統工芸品(国指定)にもなっている会津本郷焼は陶器と磁器双方があるが、磁器の原料となる陶石の採取場だ。「流紋焼」窯元で見学した際、砕石は機械によって細かく砕かれ、円柱形の粘土になり、磁器や碍子に生まれ変わる。*参考:「流紋焼」碍子(がいし)ができるまで URL: http://www.ryuumon.co.jp/?mode=f8


町道を先に進み“大久保山”(312m)の裏(東側)を見ると、削られて間もないであろう掘削面が見えた。

 

 

町道を進み、県道128号(会津若松会津高田)線に入ると、まもなく、会津本郷焼事業協同組合の「陶磁器会館」が見えてきた。今回は、新型コロナと社会活動の両立で「本郷せと市」(毎年8月の第一日曜日)が今年は開催されるであろうと思い、窯元を含め器を求めるのはやめた。

 

 

この「陶磁器会館」の目の前に、「向羽黒山」などが連なる白鳳山公園の入口がある。

 

白鳳山公園には、“東日本最大級”の山城と言われ、国指定史跡にもなっている「向羽黒山城跡」がある。この入口には説明板や当時の山城の様子が描かれた絵が掲げられている。

*「会津本郷焼」や「向羽黒山城跡」については拙著参照:「会津美里町「向羽黒山城跡・会津本郷焼」2018年 初秋」(2018年9月19日)

  

 

13:00、坂を上り始める。白鳳山公園に続く道は林道岩崎線になっている。序盤は傾斜がきつく、自転車を押して歩いた。

 

山の斜面にはアカマツが植えられている。かつては、陶磁器窯の燃料としてこの山のアカマツが使われたという。

 

「観音山」(285.5m)と「羽黒山」(344m)の間にある白鳳山公園案内看板の前を通過。看板の後ろからは、鶴ヶ城と「磐梯山」が見えた。

 

 

13:12、「向羽黒山城跡」一曲輪への登り口となる駐車場に到着。

 

すぐそばの二の丸跡に向かう石段の脇には、“熊出没注意”の見慣れた看板が置かれていた。

 

駐車場の隅に自転車を置き、「向羽黒山城跡」一曲輪に向かう。

 

石組の階段が設けられているが、蹴上や踏面は不均等で、傾斜もあり登るのは楽ではない。

 

城跡は整備され、堀跡などは露出し、城としての機能を容易に伺い知る事ができる。

 

虎口跡に着くと、上部の平場の形状が良く見えた。

 

最期の石段を登る。

 

13:18、「向羽黒山城跡」一曲輪に到着。

  

さっそく、北側の開けた場所に置かれたベンチに向かった。

 

正面に、ほぼ全容を現した飯豊連峰が見えた。ここからの眺めは、やはり素晴らしいと思った。

 

そして、只見線の路盤を探し目当てのものを探すと、まもなく見つかった。会津本郷駅を13時18分に発車した下り列車だ。キハ110形+キハE120形の2両編成だった。これを撮るために、息を切らしながら山を登ってきた。

 

コンデジのズームをすこし戻し、会津盆地の田園と西部山地のなだらかな斜面を入れて撮った。“観光鉄道「山の只見線」”の多様性を表す、味のある景色だ。

 

 

「向羽黒山城跡」一曲輪は、前回の訪問同様、綺麗に整備されていた。

 

ただ、ここで残念なのが、眺望があまり得られない点。南側は大川(阿賀川)と、その先の「大戸岳」山塊など雄大な景色が見られるはずだが、アカマツに遮られほとんど見えない。

 

木々の間から、「左下り観音堂」は見えた。

築城当時は城の機能上、木々が伐採され、視界が確保されていたはずだ。国指定史跡の保全上許容されるのであれば、一曲輪周辺だけでも良いので木々を伐採し、観光客が眺望を楽しめるようにして欲しいと思う。

白鳳山公園を後にして、次は、「向羽黒山城跡」一曲輪で撮影した列車が会津坂下駅ですれ違いを行った上り列車を撮影するために、只見線・大川橋梁に向かった。 

 

 

自転車をこぎ出して、30分ほどで大川橋梁のたもと(左岸)に到着。

 

14:05、レールを駆る小さな音が聞こえ、そして列車が橋梁に載ったのちガタゴトと大きな音に変わった。「磐梯山」の前を通り過ぎたあたりでシャッターを切った。私は初めて見る、キハE120形の3両編成だった。

 

 

列車の撮影後は、「大戸岳」山塊を見ながら、堤防の道を自転車を進めた。

  

  

途中でスーパーで買い物をしてから、「せせらぎ公園オートキャンプ場」に戻った。

明日チェックアウトということで今夜中に一部荷造りをするので、早めに夕食を摂る事にした。まずは、焚き火をして炭を熾し、その炭でアスパラを素焼きした。

 

次は、昨日の余りものの肉やウィンナーを焼いた。昼食を抜いたため、一層旨く感じられた。

 

 

食後、少し休んでから、焚き火台やグリルなどを洗い、そして「本郷温泉 湯陶里」に向かった。浴室は2階で、広く清潔で、露天風呂もありとても良かった。温泉ということもあり、身体の芯から温まった。

 

浴後、テントに戻る。利用客も増え、雨が降らず過ごしやすい気温ということもあってか、周囲は昨晩より賑やかだった。

 

「せせらぎ公園オートキャンプ場」は、市街地に近いものの、静かで寛げるキャンプ場だった。

只見線・会津本郷駅から近く、スーパーなど店も近く食材・物品の調達も徒歩でも無理はないという感想を持った。

只見線でここを利用する場合、観光の拠点とするのが良いかも知れない。キャンプ場周辺にも観光地は豊富だが、自転車があれば高田地区や新鶴地区まで足が延ばせる。もちろん、鶴ヶ城など会津若松市内の観光地も移動可能だ。これらの周辺地区は会津平野の中なので、道は平坦なので自転車移動は苦にならないだろう。

「せせらぎ公園オートキャンプ場」は、テントなどのレンタル備品も充実しているので、只見線を使って訪れ手ぶらキャンプも可能だ。あとは、レンタルサイクルがあれば、身一つで訪れる事ができる。もちろん、輪行すれば問題ない。

「せせらぎ公園オートキャンプ場」は、只見線の利用者の宿泊地として、選択肢に入るものだと今回利用して感じた。“オートキャンプ場”ということで、サイトの広さや価格設定は自動車利用者用になっているが、利便性の立地や観光地の中ということを考えれば許容範囲ではないだろうか。今後、只見線が復旧(全線再開通)する中で沿線が注目され、アクティビティーの拠点として「せせらぎ公園オートキャンプ場」が認知され、列車で訪れ利用する客が増える事を期待したい。


 


 

 

追記:5月3日(火) 

チェックアウトの日。 

朝、陽が差したが、上空には灰色の雲が流れていた。そして、時折、小さな雨粒が落ちるという空模様が続いた。天気予報は晴れ、ということでこれからの回復に期待した。

 

朝食は、全ての食材を片付けるため、チャーハンにした。

まずは、ネギを切り、オリーブオイルで炒めた。

そして、ネギを一旦皿に移し、フライパンに玉子を落とし、オリーブオイルを絡めた冷や飯を入れて混ぜながら炒めた。最後に炒めたネギを入れ、チャーハンの素を、まぜて完成。

 

次は、アスパラとウィンナーを塩コショウで炒めた。

 

キュウリの浅漬けを添えて、朝食の完成。チャーハンは、他におにぎりを二つ作り、今日の「高嬴山」登山時の昼食に充てた。

 

 

食後はテントの撤収。ただ、時折小さな雨粒が落ちる状況は変わらず、片付けは難儀した。

160サイズの段ボールにパッキングして管理棟の玄関前に運び、結局、完全撤収に1時間50分掛かってしまった。宅急便を利用するキャンプは、雨が降ると色々と手間がかかる。

 

他のキャンパーも、意外と多くが撤収し、サイトは閑散とした。今日からの3連休で予約した方が多いのだろうと思った。

 

管理棟に行き、ゴミを110円で引き取ってもらい、玄関先においた荷物をドライバーが引き取りに来ることを伝えた(集荷連絡は管理棟サイドでは行ってくれないようだった)。

そして、「高嬴山」登山をするため、不必要な荷物を預かって欲しいと頼むと、『スタッフ居る17時半までに戻ってくるなら』と、ホールの隅に置かせてもらった。


 

 

 

10:15、チェックアウトを済ませ、「せせらぎ公園オートキャンプ場」を後にして、「高嬴山」に向かった。

  

10:48、国道121・118号線沿いの、黒森集落に向かう市道の分岐を左折。

 

11:53、林道黒森線の分岐を左折し、未舗装道に入る。

 

12:02、林道一ノ渡戸四ツ屋線に合流し右折。

 

12:09、初めて「高嬴山」を見る。

 

12:25、登山口となる作業道分岐に到着。ここが間違っているとは気付かず、自転車を置いて「高嬴山」登山を開始。

 

作業道を進み、しばらくしてから『間違っている』と思ったが、見上げると「高嬴山」山頂が見え、登山道ばかりか踏み跡もない西斜面を直登したという山行記も読んでいたため、そのまま登ることにした。ひたすら、急坂を藪や灌木につかまりながら登った。

 

13:42、無事に会津百名山70座「高嬴山」に登頂。

この後、下山も急坂を使う事に。慎重に、“未踏”の崖を下った。

 

15:40、無事に下山し、林道一ノ渡戸四ツ屋線を走破し、闇川地区入小屋集落の市道合流点に到着。

*「高嬴山」登山の詳細は、拙著参照(会津若松市「高嬴山」登山 2022年 春

 

 

16:44、「せせらぎ公園オートキャンプ場」管理棟で預けた荷物を受け取り、只見線・会津本郷駅に到着。今日の全予定を終えた。


17:02、「明神ケ岳」を背にしてやってきた上り列車に乗って、会津若松に向かった。明日5月4日は「大戸岳」登山に挑む。


 

(了)

 

 

・  ・  ・  ・  ・

*参考: 

・NHK:新日本風土記「動画で見るニッポンみちしる~JR只見線

・産経新聞:「【美しきにっぽん】幾山河 川霧を越えてゆく JR只見線」(2019年7月3日) 

・福島県 生活環境部 只見線再開準備室:「只見線の復旧・復興に関する取組みについて

・東日本旅客鉄道株式会社:「只見線について」(PDF)(2013年5月22日)/「只見線(会津川口~只見間)の鉄道復旧に関する基本合意書及び覚書」の締結について(PDF)(2017年6月19日)

 

【只見線への寄付案内】

福島県はJR只見線全線復旧後の「上下分離」経営での維持費や集客・地域振興策の実施費用として寄付を募集中(クレジット可)。

①福島県ホームページ:只見線復旧復興基金寄附金・只見線応援団加入申し込みの方法 *現在は只見線ポータルサイト「只見線応援団」URL:https://tadami-line.jp/support/

 

②福島県:企業版ふるさと納税

URL:https://www.pref.fukushima.lg.jp/sec/16005g/kigyou-furusato-zei.html

[寄付金の使途]

(引用)寄附金は、只見線を活用した体験型ツアーや周遊ルートの整備、只見線関連コンテンツの充実化等に活用させていただきます。 沿線地域における日本一の秘境路線と言われる観光資源を活用し、更なる利用者の拡大と認知度向上を図ります。

 

以上、宜しくお願い申し上げます。