南会津町「舟鼻山」登山 2022年 春
“観光鉄道「山の只見線」”を目指している、JR只見線沿線の「会津百名山」登山。今日は、南会津町高野地区にある「舟鼻山」に登るため、JR只見線の会津川口駅で下車し、昭和村側から登山口に向かった。
「舟鼻山」は、会津藩の地誌「會津風土記」(初代会津(松平家)藩主・保科正之が寛文年間(1661~72) に山崎闇斎に命じて編修させた)を,第7代藩主・松平容衆が1803(享和3) 年に増補改訂させ、1809(文化6)年に編纂が完了した「新編會津風土記」(全120巻)に、「船鼻山」として記述されている。
●高野村
府城の南に當り行程十里三十町餘、家數五軒、東南二十間南北三十間、東は高野川に傍ひ西南に連り北に田圃あり、村中に官より令せらるる掟條目の制札あり、東七町田島組丹藤村の界に至る、其村まで十町、西二里四町計大沼郡野尻組大芦村の山に界ひ船鼻山の峯を限りとす、其村は戌亥に當り四里十町餘、南二町三十間下鹽沢村の界に至る、其村まで十四町三十間、北二十八町楢原組赤土村の山界に至る、其村まで一里、叉巳牛の方五町田島組永田村の界に至る、其村まで十五町四十間、
〇山川 〇船鼻山(フネガハナ)
村西一里四町計にあり、會津大沼二郡に跨り峯を界とす、此山の北を踰て大芦村に往く路あり船鼻峠と云、登ると一里計(本郡の條下に詳なり)
*出処:新編會津風土記 巻之四十一「陸奥國會津郡之十四 高野組 高野村」(国立国会図書館デジタルライブラリ「大日本地誌体系 第31巻」p203-205 URL:https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1179202)
會津郡の項には郡内の主要な山々が記述されていて、「舟(船)鼻山」が“形舟を覆すが如し”と書かれている。
〇山川 〇船鼻山(フネガハナ)
高野組高野村の西にあり、登ると一里計、形舟を覆すが如し、西は金井沢村に屬し、北は大沼郡に屬す、山北に船鼻峠とて大沼郡野尻組大芦村に行く路あり
*出処:新編會津風土記 巻之二十五「陸奥國會津郡之一 會津郡」(国立国会図書館デジタルライブラリ「大日本地誌体系 第31巻」p1 URL:https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1179202)
また、「舟鼻山」は「会津百名山」の第51座で、「会津百名山ガイダンス」(歴史春秋社)では以下の見出し文で紹介されている。
舟鼻山 <ふなはなやま> 1,234メートル
日本山岳会員の森澤堅次氏の著書に「山頂が舟のように平で、山稜が人間の鼻のような形をして切れ落ちる」と表現されているように、山容はまさに舟が横たわっているようである。[登山難易度:中級]*出処:「会津百名山ガイダンス」(歴史春秋社) p82
“形舟を覆すが如し”という「舟鼻山」は、その名の通り台形状で山頂が特定できない。国土地理院地図(Web)を調べると、台形上の最高点は1,238mになっているが、「舟鼻山」という文字が入っているのは1,226mの標高点になっている。また、上記ガイダンスでは1,234m、Web上の山行記では1,230m標高点、そして三等三角点「舟ヶ鼻」がある1,223.5mを、それぞれ「舟鼻山」の“山頂”としている。さらに、「舟鼻山」台形山には、「上ノ鼻」(1,229.8m)という三等三角点もある。
私は、今回の登山で「舟鼻山」“山頂”を1,230m標高点とし、また「舟ヶ鼻」三等三角点標石に触れるという計画を立てた。*下図出処:国土地理院「基準点成果等閲覧サービス」の地図をもとに筆者加工 (URL:https://sokuseikagis1.gsi.go.jp/top.html)
今回の、旅程は以下の通り。
・前泊した会津若松市から只見線の列車に乗って、金山町の会津川口駅に向かう
・会津川口駅前から路線バスに乗って、「奥会津昭和の森キャンプ場」前で下車
・「奥会津昭和の森キャンプ場」前から、輪行した自転車で、舟鼻峠に向かう
・舟鼻峠から「舟鼻山」に向かって登山
・下山後、廃道となった旧道400号線をたどり、南会津町の会津田島駅に向かう
・会津田島駅から会津鉄道の列車に乗って、宿泊地となる会津若松市内に戻る
天気予報は、昨夜から回復し、晴れ時々曇り。久しぶりの自転車のロングライドに加え、舟鼻峠から「舟鼻山」の残雪具合、利用する旧道400号線の廃同区間の状態など気になることはあったが、只見線や、行く先々で出会う奥会津の春の色付きに期待し、現地に向かった。
*参考:
・福島県:只見線ポータルサイト
・東日本旅客鉄道株式会社:「只見線(会津川口~只見間)復旧工事の完了時期について」(PDF)(2020年8月26日)
・拙著:「次はいつ乗る?只見線」カテゴリ ー只見線沿線の“山”(登山/トレッキング)ー / ー只見線の春ー
昨日、小雨降る富岡町を出て、宿泊地の会津若松市へ向かった。
今朝、宿を出て会津若松駅に移動。上空の青空には小さな鼠色の雲が点在していた。今日は予報通り、天気は回復し、雨は降らないだろうと思った。
切符を購入し、輪行バックを抱え、只見線のホームに行く。連絡橋上から右手、北東に見える会津百名山18座「磐梯山」(1,816.2m)は雲に隠れ見えなかった。待機中の只見線の列車の先頭は、キハ110形だった。
ホームに下りると、後部車両はキハE120形だった。当初、先頭のキハ110形を車両故障で使用していると思ったが、今秋の全線再開通(予定)を見越しての試運転のようだ。現在、小出~只見間はキハ110形が運行しているため、復旧後はそのまま只見~会津若松間に乗り入れるのだろうと思った。
6:03、会津川口行きの、下り始発列車が会津若松を出発。会津川口までの運賃は1,170円。
列車は、七日町、西若松を経て大川(阿賀川)を渡る。
会津本郷出発直後には、会津若松市から会津美里町に入る。列車の左側前方には、会津百名山61座「明神ヶ岳」(1,074m)や同33座「博士山」(1,481.9m)の山塊を覆う巨大な雲が見られた。「舟鼻山」は「博士山」の南12kmほどのほぼ山続きに位置するが、少し天気が心配になった。
会津高田を出発すると、“大カーブ”で真北に進路を変えた。
この付近の田んぼは、代掻きが終わり、薄く水が張られていた。
反対側、西部山麓に広がる田んぼは、池のように水を湛えていた。“米どころ会津”の息吹を、車窓を通しながら感じられるのも只見線の魅力だ。
列車は根岸、新鶴を経て会津坂下町に入り、若宮の後に会津坂下に停車し、上りの一番列車とすれ違いを行った。ホームには、部活に行くであろう高校生を中心に、多くの客がいた。
会津坂下を出発すると、“七折登坂”に入る。一旦ディーゼルエンジンの出力を落とした列車は、七折峠の入口で轟音を上げて、力強く駆け上がった。
登坂途上、会津坂下町の市街地越しに、会津平野を見下ろした。
列車は塔寺、会津坂本を経て柳津町に入り、会津柳津を出ると、“Myビューポイント”を通過。ここでは、会津百名山86座「飯谷山」(783m)が、陽光が山面の多様な緑を際立たせ、稜線がはっきりと見えた。
郷戸を経て滝谷を出発直後に滝谷川橋梁を渡り、三島町に入る。只見線沿線で、福島県側随一の見ごたえのある渓谷は、陽は差していなかったが緑は多様多層で、春の自然美が広がっていた。*以下、各橋梁のリンク先は土木学会附属土木図書館デジタルアーカイブス「歴史的鋼橋集覧1873-1960」
列車は会津桧原を出て、只見川(ダム湖)に架かる橋梁区間に入る。
まずは桧の原トンネルを抜け、「第一只見川橋梁」を渡る。下流側には、国道400号線が通る杉峠や、その東に連なる「日向倉山」(605.4m)が陽光を浴びて淡い緑に見えた。*只見川は東北電力㈱柳津発電所・柳津ダムのダム湖
上流側の駒啼瀬の渓谷は、陽が差さず、かえって木々の様々な緑が良く見えた。
会津西方を出発すると「第二只見川橋梁」を渡る。上流側に見える会津百名山82座「三坂山」(831.9m)に朝陽が差し、早緑の木々が鮮やかに浮び上がっていた。*只見川は東北電力㈱柳津発電所・柳津ダムのダム湖
下流側は、町道の歳時記橋付近までスッーと延びる只見川の両岸の、新緑の木々がせり出していた。
列車は減速し、“アーチ3橋(兄)弟”の長男・大谷川橋梁を渡り、県道237号線の次男・宮下橋を右手に見下ろしながら進む。両岸の早緑が、まぶしかった。*参考:三島町観光協会(観光交流館からんころん)「『みやしたアーチ3橋(兄)弟』のビューポイント」(2013年6月16日) https://blog.goo.ne.jp/mishimakankou/e/e93620f5690ee4e3adf6d1124b2f46e5
会津宮下に到着し、上り列車とすれ違いを行った。ホームには客が1人と、駅員が1人だった。
列車は会津宮下を出ると、東北電力㈱宮下発電所と宮下ダムの脇を駆けた。宮下ダムのゲートは2門開放し、勢いよく放流していた。
宮下ダム湖(只見川)の両岸は、未だ花びらをつけた山桜も見え、緑の共演にひと花添えていた。
まもなく、「第三只見川橋梁」を渡る。下流側は、左岸の中腹に見える国道252選の高清水スノーシェッドを取り囲む風景が美しかった。
上流側は、右岸の界ノ沢の豊富な水が只見川に落ち、景色の良いアクセントになっていた。
列車は滝原と早戸の両トンネルを抜けて、早戸に停車。雲の切れ間から陽が差し、山々の緑を浮かび上がらせていて、良い眺めだった。
早戸を出ると、三島町から金山町に入る。細越拱橋の緩やかな左カーブを渡った。
会津水沼を出発し、まもなく「第四只見川橋梁」に向かう。
上流側は東北電力㈱上田発電所・ダムの直下で、一部川床が見える事が多いが、雪融け水の影響か水が多く川幅一杯に流れていた。
列車は、会津中川を出てしばらくすると減速しはじめた。前方の巨大な上井草橋(トラスドランガー桁)が、どんどん近づいてきた。
振り返って、大志集落を眺めた。背後の山々の雪食地形の山肌が際立ち、今日も無二の風景を創っていた。*参考:福島県 会津地方振興局「只見川の自然」(URL: https://www.pref.fukushima.lg.jp/site/tadami-river/shizen.html )
8:06、現在の終点である会津川口に到着。ここから先、只見までの27.6kmが「平成23年7月新潟福島豪雨」被害で運休されている。私が乗ってきた下りの始発列車は、運休前は小出行きだった。
降りたのは、私の他は県立川口高校の生徒2名だけだった。
輪行バッグを抱え駅舎を抜けると、駅頭に代行バスが停車していた。いつもお世話になっている女性運転手に、『今日は...?』と聞かれたが、『路線バスに乗りますので...』と答えた。
駅舎に同居する川口郵便局の前に設置された、路線バスの停留所に輪行バッグを置き、大芦行きの便の到着を待った。
少し、時間があったので、駅頭の花壇を見た。チューリップが植えられていて、もうすぐ咲きそうな状態だった。
8:23、路線バスが川口車庫方面からやってきた。
私が乗り込むと、まもなく川口駅前を出発。車内に客はおらず、結局私が降りるまで一人の乗降も無かった。
9:10 、バス停は無いが、「奥会津昭和の森キャンプ場」前で降ろしていただく。路線バス「川口車庫⇔大芦」は、全区間自由乗降可能で、運転手に伝えることで、好きな場所で降ろしてもらえる。*参考:会津バス「バスの乗り方のご案内」URL: https://www.aizubus.com/rosen/howto
「奥会津昭和の森キャンプ場」の様子を見に行ってみた。
昨夜は雨が降ったようで、地面広い範囲で濡れ、上空には鼠色の雲が残っていた。キャンプ場に行き、場内の様子を見るが、利用者はジャンパーなどを羽織っていて、昨夜はかなり冷え込んだようだったことが分かった。
当初の予定では、昨日只見町内の桜を見た後、このキャンプ場に入り1泊するつもりだったが、雨+低温という天気予報だったので、計画変更していた。
9:20、自転車を組み立て、「奥会津昭和の森キャンプ場」前を出発。
村道を少し進み、国道401号線に入ると、北側に先々週の土曜日に登った会津百名山65座「大仏山」(994.3m)が、くっきりと大きく見えた。
国道401号線を南東に進み、前方に会津百名山88座「愛宕山」(745.4m)を見ながら大芦地区に入った。
地区内に見頃の桜はあるかと思い、曲がるべき分岐を直進し、しばらく先に進むと、墓地に満開の木があった。
引き返し、国道401号線から右斜めに入り、南会津方面に抜ける村道大芦田島線を進んだ。この道は、国道400号線が開通するまで昭和村と旧田島町(現南会津町)を結ぶ唯一の道だったようだ。
少し進むと、左側に一本桜が見え、石鳥居があった。自転車を停めて、近づいてみると看板が建ち、この鳥居は村の文化財で信州高遠藩石工の作品ということだった。
会津藩・松平家の礎を築いた初代・保科正之公は、徳川二代・秀忠のご落胤として苦難の年少期を過ごしたが、信州高遠藩主の養子となりその家督を継いだ。この石工は、保科正之公ゆかりの者だと思った。
石鳥居を抜け、境内に入ると、本殿はぺしゃんこに潰れていた。柱などの状態から、倒壊してまもなくということで、この冬の大雪に押しつぶされたのではないだろうかと思った。
村道に戻り、なだらかな上り坂を進んだ。今回、国道400号線沿いのバス停(上両原)ではなく、大芦地区でバスを降りたのは、大芦地区の方が標高が50m以上高く、舟鼻峠に向かう上り坂の傾斜が緩いと思ったからだ。実際、自転車を進め、大芦地区を選んで良かったと思った。
しばらく進むと、前方に「舟鼻山」が見えてきた。“形舟を覆すが如し”というより、まさに台形で特異な稜線だった。
村道は、「舟鼻山」を源流に持つ見沢川に沿って続いた。
村道の傾斜は少しづつ上がったが、自転車を降りて押すというほどのものではなく、車は3台だけが追い越していっただけで、サイクリングには良い道だった。
10:01、国道400号線に合流。
国道も、しばらくはなだらかな坂を上る事になった。村道に比べ、交通量は各段に多かったが、道幅が広いので怖さは無かった。前方上方には、「舟鼻山」の台形山頂が見えた。
10:29、2箇所のヘアピンカーブとその先のクネクネした場所を抜け、旧道分岐に到着。国道400号線は、この先舟鼻トンネルに続いている。
右(南)に目を向けると、「舟鼻山」が大きく見え、山肌を通る林道の線が確認できた。これから、ここを歩くが、残雪の具合が気になった。
旧国道は、大窪林道(延長21.817m)に変わったようで、起点を示す標杭が立っていた。またゲートの脇には、会津森林管理署の“一般通行禁止”の看板が立ち、『許可なく入る立ち入った場合は事故があっても一切の責任は負いません』と書かれていた。
ゲートを越えると、最初のカーブに大量の残雪があった。ただ、この先は舟鼻峠の“尾根”に着くまで残雪は見られなかった。
ヘアピンカーブを2箇所抜けると、早緑の木々の上に「舟鼻山」の稜線が綺麗に見えた。
旧道(林道)は、それほど荒れていはいなかった。国道だったということで、傾斜の緩やかで、自転車を乗り進められた。
道が徐々に平坦になると残雪が見え始め、舟鼻峠の“尾根”に到着。県道346号(戸赤栄富)線の旧道との分岐があった。
旧県道の脇の色褪せた看板には、下郷町という文字跡が見えた。
舟鼻峠の“尾根”に敷かれた旧道(林道)を進んだ。
10:57、舟鼻峠に到着。「奥会津昭和の森キャンプ場」から約11㎞、1時間37分掛かった。
自転車を脇に停め、登山の準備をする。熊鈴は、ここで身に着けた。この残雪の中、冬眠から覚めた熊が、餌を求めウロウロしているとは思えなかったが、左足の付け根とリュックに取り付けた。
11:07、舟鼻峠から「舟鼻山」登山を開始。
この先、旧道(大窪林道)は未舗装の本格的な林道区間になった。序盤、残雪は林道の大半を覆っていたため、無雪の端を歩いた。
まもなく、前方で“けもの”が動いた。『熊かっ!』と一瞬焦ったが、毛が灰色で角も見えたため、ホッとした。私の気配を感じ逃げようとしたこの“けもの”は、立ち止まって振り返った。コンデジをズームにしてみると、“けもの”はカモシカだった。
大きな目と、ひげのような顔の下の毛から、“シシ神様”かと思ってしまった。カモシカは5秒ほどこちらを凝視していたが、ヒョイと頭を前に向けると、林道から右側の藪の中に駆け去っていった。
カモシカ遭遇点付近は、残雪が少なく、しばらく未舗装面を歩き進んだ。
徐々に林道の傾斜が増し、前方に「舟鼻山」の斜面に通された林道が見えてきた。そして、ここから林道を覆う残雪がまた現れ、消える事はなかった。
斜面に穿かれた林道を進む。雪上行軍になったが、雪面は適度に柔らかく、沈む事も滑る事も無く気持ちよく雪上トレッキングができた。
最初のヘアピンカーブを過ぎると、眼下に舟鼻峠方面が見えた。
ヘアピンカーブ後の直線の中程で、昭和村から下郷町に入った。残雪は平らな場所が続き、表面の状態も変わらず、登山靴のソールが埋まる程度だった。
二つ目のへピンカーブに着き、北に目を向けると、「白森山」(1,152m)を真ん中に、右(東)に会津百名山30座「博士山」(1,481.9m)の山塊、左(西)に同じく50座「志津倉山」(本峰1,234.2m)の山塊が見えた。
この2箇所のヘアピンカーブの少し先が、三角点「舟ヶ鼻」への取り付きだと言われていたが、斜面がかなり急で、藪も密集し登る気にはならず、林道をそのまま進んだ。
林道に載った残雪を進み、直線の中程で今度は下郷町から昭和村に入った。途中、右手が開けた場所で立ち止まって振り返ると、“緑の海原”の先に会津若松市内最高峰で会津百名山36座の「大戸岳」(1,415.9m)の山塊も見えた。今回の旅で、この「大戸岳」にも登る予定を立てている。
残雪は、進むにつれて“バンク”のような形状になっていった。右手、斜面に幼木や灌木が密集してたので、ここでは滑落の不安は無かった。
また、高度が上がり、背中が開けたような気配を感じ、振り返ると、ほぼ正面に会津百名山31座「二岐山」(男岳1,544.3m-女岳1,504m、下郷町ー天栄村)の独特の双耳山の稜線が見えた。
先に進んでゆくと、残雪は、とうとう“バンク”になった。
しかも、この付近は右(北)側の斜面に木々は無く、滑落したら100m以上“直滑降”という危険な場所だった。一歩ずつ登山口を雪面に削り入れ、慎重に歩いた。
ただ、この場所は斜面に遮るものがないため、舟鼻峠に通された旧道の様子がよく見えた。“緑の海原”はさらに多様多層となり、素晴らしい眺めだった。ここは只見線からは離れるが“沿線”の昭和村であるため、“観光鉄道「山の只見線」”の春の景色として上位になるだろうと思った。
国道400号線と旧道(大窪林道)の分岐も見え、結構登ってきた事を実感した。
慎重に残雪の上を進み、左側の崖が低くなるのと比例し、前方が開けてきた。
11:49、林道の上り区間がほぼ終わり、平場に到着。「舟鼻山」の台形山頂に到着したようだった。国土地理院地図で調べてみると、ここの標高は1,200mだった(大窪林道自体の最高点は1,215m)。
振り返って、登ってきた林道から「舟鼻山」の台形山頂を見渡した。“頂点の無い山”の様子が分かった。
この後は、林道大窪線を離れて、南にある1,230m標高点に向かった。
ブナを中心とした木々は、根開きしていた。今月16日の「大仏山」登山を思い出した。
巨木、とは言えないものの、立派なブナも散見された。
5分ほど歩き、南側の開けた場所に到着。灌木や幼木の埋もれ具合から、雪が無ければ視界は悪いと思われたが、今回は50-60cmほどの積雪があり、全体が開けて気持ち良かった。このあたりは、南会津町の町域になる。
GPSを頼りに、1,230m標高点を探し回った。
リボンテープのような目印は無く、事前に登録しておいたGPSの座標を頼りにようやく1,230mポイント付近に着くが、やはり目印は無く、地表はほぼ平らなままなので、『ここだっ!』とはならなかった。
12:21、三角点「舟ヶ鼻」に向かう。
無葉ということで、南側の縁が見え、進む方向を間違えることはなかった。他の方の山行記では『夏場や悪天候では方向感覚を失うような場所』と記されていたが、確かにこの台形山頂は雪が無ければ、三角点や標高点にたどり着くのは大変な場所だと実感した。
南東の開けた場所に目を向けると、栃木県那須塩原市の「大佐飛山」(1,908.4m)と思われる山塊が見えた。
途中、歩いてきた方向を振り返る。1,230m標高点ということで、気持ち小高いと感じた。
12:26、三角点があると思われる付近に到着。やはり平たく、雪もあるので、三角点が見つかるか不安になった。
三角点標石が、雪上に頭を出している姿を期待したが、やはりなく、しばらくGPS片手に下を見ながら周辺を歩いた。すると、色褪せた角材が突き立てられた場所があった。
この周辺を細かく見てゆくと、標石の頭の一部が雪上に出ていた。雪を除けると三角点標石の表面が現れた。ホッとした。
12:52、さらに、周囲の雪をかき出し、“三等”と“三角”という文字が見えてから、三角点「舟ヶ鼻山」の標石に触れ“登頂”を祝った。
三角点「舟ヶ鼻」周辺の遠景。角材が立っていなかったら分からなかったが、夏場に籔に覆われたらその角材も無用なほど、標石は平らな場所にあった。
三角点「舟ヶ鼻」標石から、1,230m標準点方向も、ほぼ平ら。印象に残る三角点で、ここを訪れるのはこの時季が一番良いと思った。
三角点「舟ヶ鼻」からの眺望。平場が木々に覆われているということで、ほとんど無かった。
北側。
南側。
13:22、三角点「舟ヶ鼻」を離れ、「舟鼻山」の台形山頂を後にした。下山は、第二ヘアピンカーブの“取り付き点”に向かうルートにした。
台形山頂の北側の縁行き見下ろすと、想像通りの急坂だったが、残雪があり、適度に柔らかかったので、靴の踵がしっかり入り込み、序盤は問題無かった。
横に目を向けると、斜面は灌木や藪に覆われているようなので、無雪・繁葉期ならば、短い区間とはいえ登り下りともハードだろうと思った。
林道が近づくと、残雪が無くなり、密な灌木と藪が前方を塞いだ。
ここで、下りてきた斜面を振り返って見た。登りは大変だ、と実感した。
13:32、灌木を越え藪をかき分け、林道に降り立った。
抜けてきた灌木群・藪を見上げる。やはり、ここに取付き三角点「舟ヶ鼻」を目指すのは、結構勇気が要ると思った。
自分の足跡を見ながら、林道大窪線を快調に下った。
舟鼻峠が見えてきた。
13:46、舟鼻峠に戻ってきた。三角点「舟ヶ鼻」から24分で戻ってきた。あっという間の下山だった。『クマに攻撃されるかも...』と心配していた自転車は、何事も無かった。
自転車に近づいて、水を飲みながら、林道大窪線が「舟鼻山」の平場になった付近を見た。雪の無い時に歩いたら、どんな風景が見られるだろうかと想像してみた。
「舟鼻山」登山を無事に終えた。
昭和村に接する会津百名山ということで登ったが、台形上の、平たい“山頂”を雪上トレッキングすることができ、楽しく気持ちが良かった。
只見線を利用し「舟鼻山」に登る場合は、国道400号線の長い坂を舟鼻峠まで上らなければならず、自転車の場合は一般的に勧められるものではない、とは事前に想定していたが、道中目にした残雪と新緑の景色が良く、個人的には登坂の苦しさは残らなかった。
只見線を利用した「舟鼻山」登山は、輪行の楽しさ、可能性を実感できる山行だと思う。
輪行すれば、今回の山行のように、只見線(会津川口駅)→舟鼻山→会津鉄道(会津田島駅)という旅ができる(今回、通行できなかった国道400号線の区間に、積入山トンネル(1,579m)があり、長いので注意が必要かもしれない)。
また、輪行ができない方は、国道400号線上にある「観光交流施設 喰丸小」にある電動アシスト付きレンタルサイクルを利用した場合、舟鼻峠までは約12㎞ということで、舟鼻峠からの往復(三角点「舟ケ鼻」まで)が2時間程度なので一定の体力がある方なら、大きな負担なく挑める。ただ、国道400号線は、昭和村と南会津町を結ぶ唯一の道路で交通量があるため、できれば、今回のように村道大芦舟鼻線を利用した方が良いだろう。
只見線を利用した「舟鼻山」登山は、二次交通が必須となるが、珍しい山容と、林道からの舟鼻峠などの眺めなど、魅力的な山岳アクティビティーだと思った。
13:51、会津鉄道・会津田島駅に向かって、移動を開始。ゲート跡を通過し旧国道400号線を進み、下郷町に入った。
廃道となった旧道だけに、除雪されるはずもなく、自転車は抱えて進んだ。
自転車に乗らずに、抱えるのは大変だったが、木々の新緑に元気をもらいながら雪上を進んだ。
しばらく進むと、前方にピークが見えた。
ピークの手前で南会津町に入り、バリケードに使ったと思われる鉄骨付きのガードレールの脇を通り過ぎた。
ピークの先は雪が無くなり、結局最後まで雪に塞がれる事はなかった。ただ、自転車に乗る事ができたが、雪の代わりに、太細の枝や大小の石が舗装面を覆っていた。パンクに気を付けながら、自転車を進めた。
旧道は、まもなく高野川のV字渓谷の左岸に延びた。
途中、倒木が何箇所かあったが、必要に応じて自転車を抱え上げ、通過した。
崖崩れ箇所も、大きなものが二つあった。
旧道の両端にはバリケードがあり、自動車が入ってくることはないが、この道はもう自動車が通る事ができない状態になっていた。
高野川渓谷右岸に、息を呑むような風景が見られた。山桜が一本残っている事で、生き生きとした早緑とともに、“山が咲いている”と言えるような美しさだった。春の山にはこのような魅力があり、しっかりとPRすれば、紅葉に劣らない“観光鉄道「山の只見線」”の訴求力の高いコンテンツになるのではないだろうかと思った。
枝や小石などの堆積物に気を付けながら、慎重に下って行くと、倒木の向こうにバイクが停まっていた。
倒木を越え、近づいてこのバイクを見ると、南会津ナンバーだったので、地元の方が山菜でも採りに来ているのだろうと思った。
この先、少し進むと、舗装面全体が露わになった区間になった。前方の山がハゲ山になっている事から、木々の伐採後の運搬で車両が頻繁に通行していたためだろうと思った。
枝木や石が落ちていない舗装道を、快調に下った。「奥会津昭和の森キャンプ場」から舟鼻峠まで登坂した苦労が、ここで報われたと思った。
高野川を渡る際に、清流を眺めた。水は清らかで、沢音は心地よかった。これも山の魅力だと再認識した。
14:39、南会津町側のバリケードに到着。前方には国道400号線の浅布大橋が見えた。
ゲートの端の隙間を抜け、坂を上り国道400号線との交差点に着く。バリケードが設置されていた。
国道400号線を渡る際、昭和村方面を眺める。国道は舟鼻トンネル(625m)から積入山トンネル(1,579m)、そしてこの浅布大橋(155m)を経て田島地区に向かっている。
国道を横切り、先に進んだ。
まもなく、田島ダムが見えてきた。発電ではなく多目的用(洪水調節、既得取水の安定化、水道用水の供給など)のダムになっている。*参考:福島県南会津建設事務所「田島ダムの紹介」
天端が通行可能だったので、中央まで進み排水路を見下ろした。
田島ダムを後にし、一旦国道400号線に入り、できるだけ旧道沿いの集落の様子を見たいと、また側道に入った。
浅布集落の中を進んだ。
中村集落の端で振り返って「舟鼻山」を眺めた。ここからは台形山頂ではなく、平らな稜線に凸部が見える稜線だった。「舟鼻山」は「会津百名山」の中だけでなく、福島県内でも特異な山であると思った。
岩下通集落から、再び国道400号線に入り、福島県立田島病院を前方見ながら大川(阿賀川)の支流である桧沢川を渡り、田島地区の市街地に入った。
国道400号線が国道289号線との共用区間となり、国道121号線に合流する鎌倉崎交差点で、会津鉄道線のレール越しに「舟鼻山」の台形状の山頂を眺めた。「会津百名山ガイドブック」に掲載されていた写真とほぼ同じ構図だが、機会があれば、会津鉄道の列車内から「舟鼻山」を見たいと思った。
15:28、会津鉄道(旧国鉄会津線)会津田島駅に到着。舟鼻峠から旧国道400号線を経由して約13km、1時間37分で走破した。
*後日談:会津田島駅までは異常が見られなかった自転車の後輪だったが、翌朝輪行バッグの中でパンクしているのが分かった。旧国道の路面を覆っていた枝か石で小さな穴が開いてしまったようだった。
登山靴を履き替え、駅周辺で日本酒や昼食を調達した後、駅頭のベンチに座って「舟鼻山」登山の祝杯を上げた。旨かった!
カップラーメンと菓子パンで遅い昼食を摂った後、自転車を輪行バッグに収め、駅舎に入った。
駅の入口の脇には、ドラム缶が置かれていた。どうやら「立ち飲み処 ちびっと」のテーブルだった。
会津田島駅は、福島県内で初めて日本酒自動販売機を設置し、今では待合室の一部を「立ち飲み処 ちびっと」としているようだった。
列車の出発時刻が近づいてきたため、窓口で切符を購入し、改札を通り、構内踏切を渡って3-4番ホームに向かった。
列車は待機中で、車両は1両編成だった。
先客は4名ほどで、私は輪行バッグがあるので、後部の一人掛けの座席に座った。車内は只見線の列車のように吊革はなく、シートはリクライニングが可能で、収納式のテーブルもあった。只見線に観光需要を取り組むのであれば、列車内はこうでなければならない、と思った。「只見線利活用計画」を進める福島県には、予算を手当てしJR東日本と交渉して欲しいと思う。
17:47、会津若松行きの列車が会津田島駅を出発。運賃は1,690円だった。
車内では、会津田島駅近くにある国権酒造㈱で購入した「紅てふ」を呑んだ。「てふ」といえば白いラベルだが、店員から『赤(紅)は限定品で、地元以外、めったに店舗に並びません』と聞いたので、買わずにはいられなかった。辛口と言われたが、風味と甘い香りが感じられ、すぅーと喉を通る旨さだった。
「紅てふ」を呑みながら、車窓からの風景を眺めた。
会津長野駅を出て、加藤谷川を渡る。上流には「三倉山」(1,888m)、右手(西側)には会津百名山48座「斎藤山」(1,278.3m)に続く稜線が見えていた。
ふるさと公園駅手前では、「二岐山」と「鎌房山」(上岳1,329m、下岳1,313m)の双耳山が見えた。
湯野上温泉駅には、親子地蔵の足湯に浸かる方など、多くの観光客の視線を集めながら入線。
湯野上温泉駅出発後、小野嶽トンネルを抜け、第三大川橋梁を渡る。眼下にはダム湖になった大川(阿賀川)がゆったりと流れていた。この先会津鉄道(当時は国鉄会津線)は、ダム建設による付け替え区間(大川ダム公園まで)になっている。
*ダム湖(若郷湖)は国土交通省(北陸地方建設局)大川ダムのもの/大川ダム湖の左岸には電源開発㈱下郷発電所があり、ここを下池とし、電源開発㈱大内ダムを上池とする揚水発電(最大許可出力1,000,000kw)が行われている
最近、只見線・早戸駅も取り上げた「鉄オタ道子、2万キロ」という番組で主人公が降りた大川ダム公園駅を出発。付け替え当時は舟子駅という名で、付け替え前は向山トンネルの西側(写真では右)に舟子仮乗降場があったという。
“猫が働く駅”で有名な芦ノ牧温泉駅を出発。後方には、今回の旅で登る予定の「大戸岳」の山塊が、満開の八重桜越しに綺麗に見えた。
南若松駅を出ると、右前方(北東)に「磐梯山」が見えてきた。
西若松駅に到着。この先は単線の只見線に乗り入れるため下り列車(会津坂下行き)の到着を待ってから、出発となった。
18:55、終点の会津若松駅に到着。駅舎を抜けると、駅前は意外にも閑散としていた。ゴールデンウィークに入っているが、期間中の会津への観光客の入り具合が心配になった。感染対策をし、多くの方々が会津を訪れ、只見線にも乗って欲しいと思った。
(了)
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*参考:
・NHK:新日本風土記「動画で見るニッポンみちしる~JR只見線」
・産経新聞:「【美しきにっぽん】幾山河 川霧を越えてゆく JR只見線」(2019年7月3日)
・福島県 生活環境部 只見線再開準備室:「只見線の復旧・復興に関する取組みについて」
・東日本旅客鉄道株式会社:「只見線について」(PDF)(2013年5月22日)/「只見線(会津川口~只見間)の鉄道復旧に関する基本合意書及び覚書」の締結について(PDF)(2017年6月19日)
・福島県:平成31年度 包括外部監査報告書「復興事業に係る事務の執行について」(PDF)(令和2年3月) p140 生活環境部 生活交通課 只見線利活用プロジェクト推進事業
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(引用)寄附金は、只見線を活用した体験型ツアーや周遊ルートの整備、只見線関連コンテンツの充実化等に活用させていただきます。 沿線地域における日本一の秘境路線と言われる観光資源を活用し、更なる利用者の拡大と認知度向上を図ります。
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