クラシックの良さと、これからの抱負
先日、バッハコレギウムジャパンのマタイ受難曲を聴きに行きました✨
合唱団でお世話になっているボイトレの先生方がいらっしゃるのに、まだ生で聴きに行ったことがなかったので、改めて。
もう合唱の最初の音でゾワッとしました。
あのクオリティの演奏を、あのホールの響きで聴ける幸せ!
圧倒的な演奏は聴けばすぐに納得できるもので、言葉による説明はいらないな、と思いました✨
※先日飲んだ中国茶。紅八宝茶だったかな?
今まで私は、自分でコンサートを開催するときは、クラシックをいかにわかりやすく、いかに身近に感じてもらえるかを大事に作ってきました。
有名な曲を入れたり、少し多めに曲のことについてお話したり…。
言葉で説明してとっかかりを作ることで、馴染みのない音楽もすっと馴染んで聴いてもらえるかな、というわけです。
もちろん、こういったことは今後も大事にしていきたい。
大事にしていきたいんだけど、今まではどちらかというと、こういう言葉による説明が、私にとってはなくてはならない、マストなものだと思っていた。だから今までリサイタルにまでガッツリと司会を入れてもらってきた。
だけど、言葉による説明なんてなくても、もっと音楽そのものの力を信用しても良いんじゃないか?
聴いている人の自由な感性を信頼しても良いんじゃないか?
そして自分の演奏の力を信用しても良いんじゃないか?(←怖いけど!)
と思うようになりました。
曲について話したり、司会を挟んだりすると、必ず、
説明があって良かった
曲の背景について知れて良かった
と言われます。
標準的なクラシックコンサートでは基本的にこうゆうことはしないから、それだけで印象に残るのかもしれません。
むしろクラシックに馴染みのない方にとっては、説明がないと、印象に残るものも残らなくなってしまうのかもしれません。
4/9は曲についての説明はほとんどありませんでした。いわゆる標準的なクラシックコンサートだったのです。
これを私の演奏をいつも聴いてくれているお客様はどう感じただろう?
正直、わかりにくい、印象に残らなかった、と感じた人もいたと思う。(そんなことをわざわざ言ってくる人はいないけれど)
だけど、標準的なクラシックを知っている人や、説明の力に頼らずに音そのものを楽しむ、クラシックの特性のようなものを知っている人は、むしろ今回のように説明がなかったことで、いつもよりも自由なイメージで聴いてもらえて感動してもらえた、という人もいる。
ここが本当に難しいところで、全員にとってドンピシャなコンサートを作るのは不可能なんです。
じゃあなにが正解なのか…
それは、私がどうしたいかが全てだと思っています。
目の前のお客さんに楽しんでもらいたい、わかりやすく伝えたい、という思いはあるけれど、
今後クラシックのピアニストとしてやっていくのであれば、もう選択肢は1択かな、と思っています。
圧倒的な演奏さえあれば、言葉による説明はもういらないよね、というところまで持っていかなければなりません。バッハコレギウムジャパンのように!
クラシックってそもそもそうゆうものだから。
もちろん、もう金輪際トークははさみません、というわけではないですよ!それは時と場合によります。
でも、数年に1回しかやらないリサイタルに関しては、ちょっとやり方を考えようかな、と思っています。
クラシックそのものの良さ、ピアノそのものの良さがちゃんと伝わるように、それだけでも十分納得してもらえるように。
中々ハードルが高いですが、これからもがんばります✨