「宇田川源流」【日本万歳!】 少々厳しすぎるコンプライアンスに反する発言に関して「自浄作用」が発揮される日本
「宇田川源流」【日本万歳!】 少々厳しすぎるコンプライアンスに反する発言に関して「自浄作用」が発揮される日本
月曜日は「日本万歳!」をお届けしている。日本の素晴らしいところ、日本のよいところ、たまには日本があまり良くないところからの復活ということをしっかりとこの中に入れて、その中江、「日本人の国民性」と思われる(私が考える)内容を見てゆきたいと思っている。その日本人の国民性というのは、日本人が誰しも持っている性質で、日本の歴史や日本人の生活習慣、環境などから、その国民としての大まかな「最大公約数」が出てくるのではないかと思う。
基本的に、日本人であるからといって、すべてがその国民性に支配されているわけではなく、もちろん国民一人一人、別々な個性があり、また各市町村や地域で、そしてその週同体である都道府県民ごとにその内容が違っている。「県民性」という単語は近年かなり注目を浴びる単語になっているが、その県民性を持つことによって、やはり特徴があるということになる。そのために私は「最大公約数」ということを言うのであるが、その最大公約数が示す内容が、そのままそちらの方に向かい、そして大まかに同じ方向性を持った国民性を持つことになる。
近年、この日本の国民性が世界で注目されている。当然に、その世界というのは日本の個性や、日本の県民性を見ているのではなく、一人、または少数の日本国民や日本のニュースなどを見て、その日本の「最大公約数」として存在する日本人の性質を見ながら、その性質のすばらしさを賞賛していることが少なくない。もちろん、日本の個人の中にはそのような性質を持っていない人もまた希薄な人も少なくないのであろうと思うが、しかし、それでも外国から見ればその方向性は同じ方ではないかと思う。
要するに「違い」に注目するか「共通」に注目するかということで見方は全く異なる。その「共通」に注目した場合、やはり日本人さまざまな意味で特筆すべき特徴を持っているということになるのではないか。
その日本人の性質を持っているということを、この中で話をしてみようと思っており野である。今回は「吉野家の常務の発言」についてである。
「生娘シャブ漬け」発言の吉野家元常務、テレビで見せていた従業員思いの一面 視聴者「裏切られた気分」「あの感動は何だったんだ」
大学の社会人向け講座で「生娘をシャブ漬け戦略」と発言した問題で、2022年4月18日付で牛丼大手・吉野家ホールディングスの執行役員などを解任された伊東正明氏。1ヶ月前にはテレビのバラエティー番組に出演し、従業員を思い涙するシーンが視聴者の感動を集めたばかりだった。
今回の一件を受け、ネット上では「なんか裏切られた気分」「あの感動は何だったんだ」などの声が聞かれた。
「貰い泣きしそうに」「従業員想いの熱い人」
伊東氏は22年4月16日に早稲田大学で開かれた社会人向けのマーケティング講座で、若い女性客に吉野家のリピーターになってもらう施策を「生娘をシャブ漬け戦略」と表現。ネット上で、女性蔑視だとの指摘が相次いでいた。
問題を受け吉野家HDは19日、同社の執行役員、子会社の株式会社吉野家の取締役を18日付けで解任したと発表。同日にはコンサル大手・アクセンチュアが伊東氏の社外アドバイザー契約を解除し、同じコンサル企業のM-Forceも同氏とのパートナーシップ契約を解消したことを発表した。
今回の問題から約1ヶ月前の3月12日、伊東氏はTBSのバラエティー番組「ジョブチューン」のワンコーナーで、一流料理人が大手飲食・小売・食品企業の料理をジャッジする人気企画に吉野家代表として出演していた。
企業の商品に料理人が辛口な評価を下すことで知られる同コーナー。伊東氏は「吉野家史上最大のボリューム商品」をうたった「スタミナ超特盛丼」が不合格となり渋い表情を見せるも、看板商品の「牛丼」が満場一致で合格になった際は「(合格)出なかったら会社帰れないと思ってたのでよかったです」と安堵。
最終的には吉野家が提案した5商品中4商品が「合格」の判定だった。伊東氏は「頑張って良いもん出そうとやっているのを見ている」と従業員思いの一面を覗かせ、涙を流す場面もあった。
伊東氏の涙に、当時番組を見ていたツイッター上の視聴者からは「貰い泣きしそうになりました」「こんな人が上にいる企業素敵だなあ」「従業員想いの熱い人なんだろな」と感動の声が聞かれていた。
しかし、今回の失言で先日の放送に注目が集まると、ツイッター上では「ちょっとビックリした」「なんか裏切られた気分」「あの感動は何だったんだ」などの声が聞かれた。
2022年4月21日 17時24分 J-CASTニュース
https://news.livedoor.com/article/detail/22041615/
この問題は、日本人の内容をほめられたものではないという気がしないでもない。もちろん批判している人が多いということもまたその後の吉野家が解任したということも含めて、すべてが「日本人の国民性」であるということが言えるのではないか。
まず簡単に言って、日本人の中には、この伊東氏のような発言をする人は少なくない。特に、社内など、一部の人々の人間がその中において共通の認識を持っているところでは、そのような表現が許されるということになります。具体的には吉野家の社内ではこの世な表現がまかり通っていたということになるでしょうしまた、そのような話が出てきても咎めるような内容ではないと認識されていたのでしょう。「日常」と「非日常」があり、その「非日常」に「日常の表現」を持ち込んだ内容ということになり、その内容をいかに「余所行き」の言葉に変えるかということあ重要になる。しかし、この吉野家の常務は全く加工なしでそのまま社内の用語を話してしまった。まあ、それが最もわかりやすく、なおかつ笑いが採れると思ったのであろう。
ちなみに、私も小売業にいたことがあるので思うところは、その業種というのは、接客をしていることからかどうかは不明だが、とにかく一歩客前を引いたら、言葉は悪いしセクハラのような発言は普通に行われる。ひどい言い方であるがそのようなレベルの人々であるということでしかない。私はこの事件に関しては「そんなもんだろうな」というような感じしかない。ちなみに、なぜそのようなことが許されるのかというのは、単純に「表現だけ」であり、なおかつ特定の人物を指して言っている言葉ではないので、誰もそれで不快に思わないということがある。このような性的な発言というのは、基本的には「自分に向けられている」というように思わない限りあまり不快には思わない。まあ、聞かなければよいというレベルのものでしかないのである。
さて、ここからが日本人であるというところだ。日本の国民性は、このような「はみ出した」人に呈して厳しい。「出る杭は打たれる」というのは、基本的には、能力がある人という意味であろうが、しかし、実際はそれだけではなく、さまざなな意味で「村八分」的な「不文律に対する違反」がある。これは実は日本人の規律性が高くなる要因の最も大きな要因であるといえよう。
まさに、この「日本人の起立性や勤勉性」というのは、このような日本人の「生真面目さ」から出ている。法律などで決まっているかどうかという話ではなく、社会的な内容から、その中で自分たちで勝手に不文律を作り出し、その「不文律的な価値観」から、相手を攻撃するというような状況があり、そしてそれを守らない人に対して実質的な制裁を加えるというような状況なのである。
ある意味で、以前私が提唱していた「ジャスティス・ハラスメント」に近い内容であり、その内容が、そのまま日本人の国民性の一つになっているということになるのであろう。今回もこの伊東氏という吉野家の元常務には申し訳ないが、そのやり玉に挙げられた。日本人の国民性によって葬られたということになるのではないか。
このようなことが悪い面で出れば、「行き過ぎた批判」になるし、また一方ではそれが日本人の国民性につながる。そのように一つの内容が良い面と悪い面がありそれが織りなすところが日本の国民性の面白いところなのかもしれない。
なお、蛇足ながら付け加えれば私自身は伊東氏に同情的であるのが本音である。