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「宇田川源流」【大河ドラマ 罐管殿の13人】潔い木曽義仲の死と天才源義経の一の谷の戦いを見事に描いた回

2022.04.26 22:00

「宇田川源流」【大河ドラマ 罐管殿の13人】潔い木曽義仲の死と天才源義経の一の谷の戦いを見事に描いた回


 水曜日は、大河ドラマ「鎌倉殿の13人」について、私の書きたいことを書いている。今まで見ていると、ここ数回は「後半の話の展開に対する伏線」ということが非常に多く書かれていたのであるが、今回は、その「伏線回収」の回になったのではないか。

とにかく、このようなことを書くとジェンダーハラスメントだといわれそうだが、「男が見ていてかっこいい男が書かれた回であった」と思う。別に「女の目線で見てかっこいい」でもよいし、そのように感じている人もいるのであろう。しかし、なんというか男が男に惚れるということが、そのまま「嫉妬」に替わるということがこれほどうまく書かれているのは珍しいのではないか。

基本的に、北条義時が主人公であるから、宇治川の戦いと一の谷の戦いが一階に詰め込まれてしまっている。一年間の放送のうちに1221年の承久の乱が終わるまで進めなければならない。現在まだ1185年辺りであるから、これはなかなか大変なものである。通常の源平合戦を描くドラマであれば、木曽義仲の死、巴御前のその後、一の谷の戦いでの鵯越奇襲というようなことは、一つ一つ大事に書かれることになるのではないかと思うのであるが、そのような暇はない。北条義時の活躍は、鎌倉幕府が1192年に出来たのちが本番であるといて良いのである。そのように考えれば、源平の合戦は、早めに終わるということになるのであろう。

しかし、短いから雑になっているというわけではない。逆に「短い」だけに、何事もないような短いセリフの中に、様々なことが込められている。

まずは木曽義仲の死。そもそも木曽義仲は、今回は「義理に厚く、筋を通す武士らしい武士」ということがうまく書かれている。非常に戦に強く、また、筋を通すので、人望が厚い。実は、「木曽義仲を強く書くことで、それを打ち破った源義経を天才と書くことができる」ということになる。まさに「好敵手をしっかりとうまく書くことが、本人の地位を上げる」という結果になることの好例であろう。三谷幸喜氏は、この木曽義仲や巴御前を書く中で、「人物の対比」ということをうまく書き、そのことによって、キャラクターを際立たせるという手法をうまく使っている。この手法に関しては「さすが」というほかはない。

「鎌倉殿の13人」宇治川&一ノ谷の戦い 義経ついに覚醒!梶原景時はサリエリ?畠山重忠は実際“語り草”

 俳優の小栗旬(39)が主演を務めるNHK大河ドラマ「鎌倉殿の13人」(日曜後8・00)は24日、第16話が放送された。

 <※以下、ネタバレ有>

 ヒットメーカーの三谷幸喜氏が脚本を手掛ける大河ドラマ61作目。タイトルの「鎌倉殿」とは、鎌倉幕府将軍のこと。主人公は鎌倉幕府2代執権・北条義時。鎌倉幕府初代将軍・源頼朝にすべてを学び、武士の世を盤石にした男。野心とは無縁だった若者は、いかにして武士の頂点に上り詰めたのか。新都・鎌倉を舞台に、頼朝の13人の家臣団が激しいパワーゲームを繰り広げる。三谷氏は2004年「新選組!」、16年「真田丸」に続く6年ぶり3作目の大河脚本。小栗は8作目にして大河初主演に挑む。

 第16話は「伝説の幕開け」。御家人たちをまとめ上げた源頼朝(大泉洋)は、弟・源範頼(迫田孝也)を総大将、梶原景時(中村獅童)を軍奉行とした本軍を派兵。八重(新垣結衣)に見送られた北条義時(小栗)も従軍し、先発した源義経(菅田将暉)と合流する。後白河法皇(西田敏行)を捕らえて京に籠もる木曽義仲(青木崇高)、福原を拠点に復権をうかがう平宗盛(小泉孝太郎)に対し、鎌倉方は義経の天才的な軍略に導かれて奮戦。畠山重忠(中川大志)らが華々しく駆ける…という展開。

 義経は「宇治川の戦い」で義仲を撃破。鎌倉軍は京に入った。義経は後白河法皇に拝謁し、気に入られた。

 平家軍は福原に集結。攻めるなら、東の生田口か西の一ノ谷口。義経の策は、まず福原の北にある三草山の平家方を攻める。山側から攻める手の内を敢えて明かし、福原の東西を固める平家軍を北にも散らす。平家方それぞれの兵力を弱めた上、予想外の場所から攻めるとした。その場所は「考え中である」。自分の最初の策を否定された景時も「すべて理にかなっておりまする」と三草山への夜討ちに同調した。

 義経は義時と2人になると「もう一つ思いついた。法皇様に文をお届けしろ。平家に対して和議をお命じいただきたい。明後日六日には先方に伝わると、うれしい。我々は法皇様のお言葉は知らなかったことにして、七日に攻め込む。敵はすっかり油断している。こっちの勝ちだ。騙し討ちの何が悪い」。後白河法皇も「平家をハメるのだ。こういうのが大好きじゃ」と義経の策に乗った。

 三草山で平家軍に夜討ちをかけた義経勢は、福原に向かって山中を進む。先は断崖絶壁だが、1カ所だけ比較的なだらかな場所「鵯越」なら「馬に乗って駆け下りることも可能でしょう」と景時。義経は「なだらかなところを駆け下りても、出し抜くことにはならぬ」と鉢伏山の一際そびえ立った崖から一ノ谷へ下りると宣言し「私ならできる!」

 景時は「いい加減になされよ!貴殿にできたとしても、兵たちにできなければ、意味のないこと。下りれば、多くの兵たちが無駄死にしよう。大将なら、そこまで考えていただきたいもの」と反対。義経は「誰が馬に乗ってと言った。まず馬を行かせる。馬は後戻りできないから、前に進むしかない。勝手に下りてくれたところで、次は人だ。(攻めかかる時に下馬は無様)戦に見栄えなど関わりない!そんなことのために、大事な兵を無駄死にさせてたまるか。もういい。おまえたちは付いてくるな。私の兵だけで行く」。義時に頼まれ、重忠は「馬を背負ってでも下りてみせまする。末代までの語り草になりそうです」と義経に付き従った。景時は「何ゆえ、何ゆえ、あの男にだけ思いつくことができるのか…」と嫉妬のような感情も垣間見えた。

 2月7日早朝。義経は70騎の武者とともに、鉢伏山の断崖の上にいる。鹿の糞を見つけ「鹿が下りられるということは、馬も下りられるということだ。この糞に命運を懸けた」。一ノ谷、平家本陣。平宗盛(小泉孝太郎)は安徳天皇(相澤智咲)に「心配はございませぬぞ。ここ一ノ谷に敵は参りませぬ」と語り掛けたが、馬蹄の音が聞こえる。崖を下りてきた義経や重忠が現れた。縦横無尽な義経の戦いぶりに、景時は「(戦神の)八幡大菩薩の化身じゃ」――。

 ついに義経が覚醒。SNS上には「その通り!末代までの語り草…銅像までありますぞ」(一ノ谷の合戦の『鵯越の逆落とし』で畠山重忠が馬を背負った姿の銅像が埼玉県深谷市にある)「「梶原景時に同情する大河って生まれて初めてかも?」「ああ、モーツァルトに嫉妬するサリエリみたいな梶原景時」「軍奉行梶原景時は、嫉妬の炎に身を焼かれていた。神はなぜ自分ではなく、よりによって下品で女好きな源九郎義経に軍略の才能を授けたのか」「義経の悪魔のような天才ぶりが発揮されて、梶原景時の中に様々な感情が積み重なっていくのが、もう切ない。その感情の上位に、武人としての憧憬がきてしまった。間近で接するがゆえに、その憧憬を台無しにされるのかと思うと、本当に切ない」などの声が続出した。

[ 2022年4月24日 20:45 ] スポニチ

https://www.sponichi.co.jp/entertainment/news/2022/04/24/kiji/20220424s00041000617000c.html

 その対比法によって「天才」と描かれた源義経は、他の武将に比べても全く異なる戦術を披露する。

ある意味で「天才」とは「常識にとらわれない、独自の論理や観察眼で物事を判断することの力があること」という定義なのであるが、まさにそのようなことが出ている。梶原景時と源義経の間のやり取りはまさにそのものである。

常識という枠の範囲内の「最高の戦術」を提案する梶原景時に対して、「常識という枠をはみ出した、神レベルの戦術」を繰り出す義経。それに対して素直に頭を下げる梶原景時は、やはりなかなか良い人物に書かれている。

しかし、義経はそれだけでは終わらない。

義経は義時と2人になると「もう一つ思いついた。法皇様に文をお届けしろ。平家に対して和議をお命じいただきたい。明後日六日には先方に伝わると、うれしい。我々は法皇様のお言葉は知らなかったことにして、七日に攻め込む。敵はすっかり油断している。こっちの勝ちだ。騙し討ちの何が悪い」<上記より抜粋>

これはまさに、「勝てば官軍」という思想であろう。まさに、「勝」ということをしっかりと頭の中に入れ、そのうえで、常識をすべて排除して効率的に最も良い方法を考え、実行する。常人にはある意味で近付きがたいし、また、そこに大きな壁があるということになる。

景時は「何ゆえ、何ゆえ、あの男にだけ思いつくことができるのか…」と嫉妬のような感情も垣間見えた。<上記より抜粋>

まさに、「天才は天才を知る」というということであると同時に、その天才が越えられないレベルでは「嫉妬」に替わるということが、現在の縮図と同じようにしっかりと書かれている。

ある意味で「ドラマ」とは「昔の題材を使った人間を描いた劇」であり、それは「現代の人々が見て、その内応に身近に感じるということが重要」になってくる。つまり、現在天才と思える人もいるし、またとても追いつけないというような感覚を持つこともある。そのことが、しっとにかわり、やがて、天才が身を亡ぼすということをうまく風刺してドラマ化している。今回はそこまで書かれていないが、しかし、その天才の運命は、現在も「出る杭は打たれる」というような感覚で、集団の中に受け入れられない状況は少なくないのである。しかし、源平合戦のような「雌雄を決する運命の一戦」では、その天才が遺憾なく能力を発揮しなければ、うまくゆかないのである。そのような風刺がしっかりとできているのが、三谷幸喜氏の書いた源平合戦なのではないか。