【本所①010】本所入江町
町番号:本所①010
町名:本所入江町
読み方:ほんじょいりえちょう Honjo-Iriechō
区分:町丁
起立:1662(寛文2)年
廃止:1930(昭和5)年
冠称:1911(明治44)年4月30日まで「本所」
現町名:墨田区緑四丁目
概要:元和年中(1615~1624年)は中橋広小路にあり、「長崎町」と称していた。明暦の大火後、霊岸島に移転し、入江に沿った土地だったことから「入江」と俗称。1661(寛文元)年、松平越前守邸地となったため、1662(寛文2)年、本所横川通りの当地に代地が与えられ、「本所入江町」と改称した。
1683(天和3)年、本所一帯が収公されたが、代地とする土地がないため、屋敷代として1,078両余が与えられた。屋敷代は毎年上納金として返済された(備考)。1828(文政11)年の家数180(町方書上)。「鐘の下」又は「時の鐘」、「鐘撞堂」の俚俗名は隣町に時鐘があったことによる(備考)。「鐘撞堂」は近くにあった岡場所の通称でもあった(青楼年暦考・惣鹿子)。勝小吉・麟太郎(海舟)が町内に住居し、1831(天保2)年に麟太郎が犬に嚙まれて重傷を負ったという話がある。
慶応4年5月12日(1868年7月1日)、江戸府に所属。慶応4年7月17日(1868年9月3日)、東京府に所属。1869(明治2)年、時鐘屋敷を合併。1872(明治5)年の戸数191・人口624(府志料)。同年陸尺屋敷を合併。
1878(明治11)年11月2日、東京府本所区に所属。1889(明治22)年5月1日、東京府東京市本所区に所属。
1930(昭和5)年、帝都復興計画の一環により、緑町四丁目に編入となり消滅。現行の緑四丁目のうち。
撮影場所:本所入江町
撮影地:墨田区緑四丁目24番1号(大喜)