昔の個性的な観光バス①パノラマデッカー
1970年代に入ると観光バスのデラックス化が顕著になり、車両自体の差別化が目立つようになりました。(1960年代までは路線バスと共通な部分が多かった観光バスも、1970年代には外観も足回りも路線バスとは大分違うものとなっていました。)
観光バスのデラックス化の一環として、客室の床を高くしたハイデッカー車が注目を集め、主力になったのも1970年代です。
以前にもご紹介したように、当時はハイデッカーでも様々なバリエーションがありました。最初に登場したのは屋根の途中からステップアップし、ステップアップ部に光を採り入れる窓を設け、明るい車内を実現したセミデッカーでした。
また、はとバスが1977年から導入したスーパーデラックスバスの様に、ボディ全体の屋根が高くなっていて迫力のあるスタイリングをしていたフルデッカーは究極のハイデッカーと目されていました。
そして、忘れてはいけないのが今回ご紹介するパノラマデッカーです。セミデッカーに大きく張り出すパノラマウィンドウを備えたスタイリングは大変目立ちました。日本独特なインパクトのあるスタイルは大人気となり、豪華仕様のサロンバスが花形であった時代とマッチし、角張ったスタイルのスケルトンタイプが主流になるまでは中京や近畿地方を中心に積極的に導入されました。
当時の観光バスを振り返ると、当然ながら機能を重視しながらも、それ以外の部分でもお客さまに魅力を訴求するパワーを感じます。
写真解説
写真①
登場初期の岐阜乗合自動車の三菱ふそう製パノラマデッカーです。側窓が全て固定で、40人乗りの特別仕様車です。
写真②
東濃鉄道の三菱ふそう製パノラマデッカーです。スケルトンが主流になる直前の導入で、スイング扉、大きな側窓、後部の固定サロンなど当時の最高峰の車両でした。
写真③
富士急行観光の三菱ふそう製パノラマデッカーで、全長11mクラスのパノラマデッカーも決して珍しい存在ではありませんでした。
写真④
内山観光バスの富士重工ボディのパノラマデッカーです。川重がパノラマデッカーを製造しなかったので、いすゞ車のパノラマデッカーはほとんどが富士重工製でした。