【本所①054】向島須崎町
町番号:本所①054
町名:向島須崎町
読み方:むこうじますさきちょう Mukōjima-Susakichō
区分:町丁
起立:1891(明治24)年3月
廃止:1964(昭和39)年6月30日
冠称:「向島」
現町名:墨田区向島四・五丁目
概要:1889(明治22)年に東京府南葛飾郡から東京市本所区に編入された地域のうち、1891(明治24)年3月に請地村字須崎の内、台の下の内、須崎村字川面の内一家道、南の内飛地字八反目の内、町屋耕地、大島裏、殿田一貫田の内、村前の内北本所出村飛地字須崎の内、元南本所出村飛地字須崎の内、小梅村字前荒田の内、押上村飛地字居村向の内が合併し成立。はじめは「洲崎」の字を使用していたらしいが、これは隅田川の出口の三角州の崎であったためであろう。本所最北端の町。
町内の長命寺はもと「宝樹山常泉寺」と称していたが、寛永年間(1624~1645年)、鷹狩に訪れた将軍家光が境内の井戸を「長命水」と名付けたので寺号を改称した。門前のさくら餅は向島名物として有名であった。
1931(昭和6)年、帝都復興計画の一環により、一部が隅田公園、小梅三丁目、向島二・三丁目に編入となる。1943(昭和18)年7月1日、東京都本所区に所属。1947(昭和22)年3月15日、東京都墨田区に所属。
1964(昭和39)年7月1日、住居表示の実施により、隅田公園、小梅三丁目、向島二・三丁目、加えて住居表示実施後の向島四・五丁目に編入となり消滅。
なお、向島須崎町、向島中之郷町、向島小梅町、向島請地町、向島押上町の各町は「向島」の冠称を付すが、前述のとおり、1891(明治24)年3月に本所区に編入されてからは全て本所の町であり、当サイトの編集方針(内容現在)においての「向島」とは古隅田川(請地古川)以北を指す。
なお、隅田川本流から分流していた古隅田川(請地古川)はこの北西から南東に流れ、十間橋のやや西で北十間川に合流していた。なお、現在は全川暗渠されている。流路は首都高速道路向島入口の辺りから分派し、墨堤通りを越え、鳩の街通り商店街の西、京成・東武の線路敷きを潜り、なだらかなカーヴを描いて墨田区立押上公園辺りへ、というコースとなっている。
なお、古隅田川は単なる河川ではない。よく「隅田川は武蔵国と下総国の国境であり、両国橋の橋名はその両国に跨っているから名付けられた」といわれているが、それは全くの誤解で、本所区域が下総国に所属していた過去はない。何故なら、「隅田川」といっても、下流3派あるうちの古隅田川が嘗ての国境だったのである。嘗てはその流れの国境としていたが、そこを境としていたのは左岸の地域が武蔵国に編入されてからも変わらない。古隅田川が暗渠になろうとも、近代では本所区と向島区の区境として、また現在両区が墨田区のうちとなろうとも、向島と東向島の町境として見えない境界線は存在している。
撮影場所:向島須崎町