【深川①015】深川大島町
町番号:深川①015
町名:深川大島町
読み方:ふかがわおおしまちょう Fukagawa-Ōshimachō
区分:町丁
起立:1629(寛永6)年
廃止:1931(昭和6)年
冠称:1911(明治44)年4月30日まで「深川」
現町名:江東区永代二丁目、牡丹一丁目
概要:1629(寛永6)年開発の深川猟師町8ヶ町の1つ。「浜十三町」と俗称された(備考)。寛永年間(1624~1645年)の開発で、はじめは月行事持ちで名主はいなかった。町名は埋立以前に島のような形をしていたことによる。開発当初は御菜御用等を勤める無年貢地だったが、1670(寛文10)年の検地から年貢地となった。1694(元禄7)年から名主の支配となり、1695(元禄8)年、石高を16石余に定められたが、1735(享保20)年、越中島続の当町の代地分が加算されて18石に増加。
1711(正徳元)年、深川越中島町への橋が架橋された際、当町の一部が橋台用地として収公された(備考)。1713(正徳3)年、町奉行支配となる(備考)。化政期(1804~1830年)の家数239軒(町方書上)。なお当町の代地は深川奥川町続と越中島続の2か所にあった。
慶応4年5月12日(1868年7月1日)、江戸府に所属。慶応4年7月17日(1868年9月3日)、東京府に所属。1872(明治5)年の戸数261・人口1,253(府志料)。
1878(明治11)年11月2日、東京府深川区に所属。1880(明治13)年開設の深川魚市場の一画をなし、会所が置かれた。1889(明治22)年5月1日、東京府東京市深川区に所属。
1931(昭和6)年、帝都復興計画の一環により、永代二丁目、牡丹町一丁目(道路のみ)に編入となり消滅。現行の永代二丁目、牡丹一丁目(道路のみ)のうち。
撮影場所:深川大島町