【深川①025】深川伊勢崎町
町番号:深川①025
町名:深川伊勢崎町
読み方:ふかがわいせざきちょう Fukagawa-Isezakichō
区分:町丁
起立:1700(元禄13)年
廃止:1932(昭和7)年
冠称:1911(明治44)年4月30日まで「深川」
現町名:江東区清澄二・三丁目
概要:築地町24ヶ町の1つ。切絵図では仙台堀の北に位置する。嘗ては海辺新田の地で、寛永(1624~1645年)~元禄年間(1688~1704年)頃までは南茅場町、松村町の材木問屋の木置場であった。1700(元禄13)年、川舟組の者と同心等に与えられ、町屋を建設。1713(正徳3)年、町奉行支配となる。拝領当初は河岸がなく不便で借り受ける者も少なかったが、1713(正徳3)年12月の火災後、仙台堀沿いに幅5間の道が新たに造られた。化政期(1804~1830年)の家数158軒(町方書上)。
慶応4年5月12日(1868年7月1日)、江戸府に所属。慶応4年7月17日(1868年9月3日)、東京府に所属。1869(明治2)年、南本所石原町代地を合併。1872(明治5)年、隣接の下総関宿藩久世氏下屋敷、陸奥仙台藩伊達氏蔵屋敷他の武家地を合併。同年の戸数181・人口732。物産に張文匣、曲物、下駄、鏡台、針箱、足袋等があった(府志料)。
1878(明治11)年11月2日、東京府深川区に所属。久世氏の屋敷跡を含む一帯は岩崎氏別邸となった。その庭園は、弥太郎・弥之助により造修され、都内屈指の名園となり、1924(大正13)年に庭園の東南部の一部が清澄庭園として公開された。1889(明治22)年5月1日、東京府東京市深川区に所属。
1932(昭和7)年、帝都復興計画の一環により、清澄町二・三丁目に編入となり消滅。現行の清澄二・三丁目のうち。
撮影場所:深川伊勢崎町