【深川①040】深川豊住町
町番号:深川①040
町名:深川豊住町
読み方:ふかがわとよずみちょう Fukagawa-Toyozumichō
区分:町丁
起立:1869(明治2)年
廃止:1967(昭和42)年6月30日
冠称:1911(明治44)年5月1日から1947(昭和22)年3月14日までを除く期間と1967(昭和42)年6月30日まで「深川」
現町名:江東区東陽六・七丁目
概要:1869(明治2)年、深川六万坪町と肥後熊本藩細川氏抱屋敷を合併して起立。町名の由来は不詳だが、縁起の良い字を当てたものであろう。周囲を大横川、横十間川、仙台堀川に囲まれている。横十間川は仙台堀川と直角に交差した後に豊砂橋を越え、その後当町域でほぼ直角に流れを変えて井住橋、平住橋、富士見橋を経て、大横川への合流を目指す。町域の中央には四ツ目通りが南北に走り、通りの西にイースト21、東には東京都下水道局東部第一下水道事務所、東京都建設局第五建設事務所江東工区がある。四ツ目通りの町域北端には仙台堀川に架かる豊住橋が架かる。1873(明治6)年、海軍省艦材置場となった。
1878(明治11)年11月2日、東京府深川区に所属。1889(明治22)年5月1日、東京府東京市深川区に所属。1891(明治24)年、石小田新田字細川耕地を編入。同年、御料地となり、木曽御料材を貯蔵。
1932(昭和7)年、帝都復興計画の一環により、一~三丁目に分かれる。1943(昭和18)年7月1日、東京都深川区に所属。1945(昭和20)年の空襲により、御料地が焼失、貯木場が移転。東京営林署が置かれた。1947(昭和22)年3月15日、東京都江東区に所属。
1967(昭和42)年7月1日、住居表示の実施により、東陽六・七丁目に編入となり消滅。
撮影場所:深川豊住町