【深川①071】深川八名川町
2017.12.16 15:58
町番号:深川①071
町名:深川八名川町
読み方:ふかがわやながわちょう Fukagawa-Yanagawachō
区分:町丁
起立:1718(享保3)年
廃止:1934(昭和9)年
冠称:1911(明治44)年4月30日まで「深川」
現町名:江東区新大橋二・三丁目
概要:切絵図では小名木川の北、六間堀の西にある。江戸初期には幕府の軍船安宅丸の船蔵があったが、のち堀田伊豆守の屋敷となった。堀田氏の移転後、1718(享保3)年から神田八名川町の御小人衆拝領屋敷の代地となった。町名は元地の町名を引き継ぐ説(備考)と、柳原から移ってきたので、はじめ「柳代町」と称していたのが「八名川町」となった説(葛西志)がある。化政期(1804~1830年)の家数260軒(町方書上)。
慶応4年5月12日(1868年7月1日)、江戸府に所属。慶応4年7月17日(1868年9月3日)、東京府に所属。1871(明治4)年、紀伊和歌山藩徳川氏下屋敷他、周辺の武家地を合併。1872(明治5)年の戸数296・人口1,056、物産に岐阜提灯、葭簀、花簪があった(府志料)。
1878(明治11)年11月2日、東京府深川区に所属。1889(明治22)年5月1日、東京府東京市深川区に所属。
1934(昭和9)年、帝都復興計画の一環により、現行の新大橋二・三丁目に編入となり消滅。
なお、冠称は「本所」ではなかったのかという説があり、多ヶ谷有子氏の『八名川町は「本所」か「深川」か?―宇江佐真理氏の小説『通りゃんせ』をめぐる地名表示の考察―1』(関東学院大学人文学会 紀要 第132号(2015))が詳しい。
撮影場所:深川八名川町