「宇田川源流」【土曜日のエロ】 「ポルノを視聴して語り合う講座」がアメリカで始まった羨ましい環境
「宇田川源流」【土曜日のエロ】 「ポルノを視聴して語り合う講座」がアメリカで始まった羨ましい環境
今週も「土曜日のエロ」の日になった。普段の都市ならば、実は昨日語りから「ゴールデンウィークのエロ」というような感じになっていたのではないかという気がする。しかし、今年はさすがに、ロシアのウクライナ侵攻や北海道知床の観光船の沈没事故など、様々なことがあって、あまりエロでゴールデンウィークを染めるのは気が引けるのである。
そのようなことを考えて、今年のゴールデンウィークは、明後日から(明日の誕生日は毎年ブログは書かないのである)「ゴールデン特別・ウクライナ情勢解説」を行おうと思う。まあ、今までオンラインサロンなどに譲ってきた内容を、要約して、オリジナルでこのブログで展開してみたい。
さて、ところで上記にある知床の観光船沈没であるが、実に悲劇としか言いようがない。肥後と出てくるニュースを見れば、なんとなく「経済的に無理をしてしまい、そのことから、悪天候でも出向して事故に遭った」というような感じがある。要するに「人災」ではないかというような感じに見えないでもない。もちろんそのことを否定するつもりはない。実際に、私自身がもしも北海道に今行くとしても、他の会社の船であってもあまり乗りたくはないと思ってしまうのではないか。
しかし、ではこのコロナウイルス禍で観光などが犠牲になった状況の中、経済優先を攻められるのであろうかということも考えなければならない。もちろん安全を犠牲にして経済優先というのは良くない。しかし、ある意味でぎりぎりのところは追及するということなのかもしれない。
私の母校麻布高校は、「相模湖事件」という相模湖における水難事故があって、そのことが現在も語り継がれている。ウィキペディアでは「内郷丸遭難事件」として「1954年(昭和29年)10月8日昼過ぎ、神奈川県津久井郡与瀬町(現在の相模原市緑区与瀬)にある相模湖で発生した水難事故である。定員の4倍以上の客を乗せた遊覧船の内郷丸が運航中に浸水により沈没、中学生22人の死者が出た。」(https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%86%85%E9%83%B7%E4%B8%B8%E9%81%AD%E9%9B%A3%E4%BA%8B%E4%BB%B6)とある。なんとなく今回の事件で、そのような話を思い出したのは、私と同じ学校の卒業生は少なくないのかもしれない。
さて、明日は誕生日なので、「不謹慎の非難」を気にせず、今日もエロを見てゆきたい。
「ポルノを視聴して語り合う講座」を提供する大学が登場
アメリカ・ユタ州のウェストミンスター大学で「ポルノ映画を一緒に見て語り合う」という講座が2022年5月にスタートします。まだ講座が始まる前ながら注目が集まりすでに炎上気味なのですが、大学側は「開催を止めるつもりはない」と回答しています。
ユタ州のソルトレイクシティに位置する私立リベラルアーツカレッジのウェストミンスター大学がシラバスに掲載した問題の講座が以下。講座概要は「ハードコアポルノはアップルパイくらいアメリカ的で、土曜夜に開催されるアメフトの試合よりも人気があります。私たちはポルノという10億ドル(約1300億円)規模の産業について、ポルノが性的不平等を反映・強化しながらにして性的規範やジェンダー規範を解き放ちうるポテンシャルを持つといった点を議論し、真面目な考察を要するアートのあり方であるという観点を論じます。授業内容はポルノ映画を鑑賞して、人種・階級・ジェンダーに関する性表現について討論したり、実験的かつ急進的なアートにおける性表現を考察したりすることです」で、単位は2単位。シラバスには記載がありませんが、講義は2022年5月9日から6月4日までの約4週間にわたって、週2回・1回3時間というペースで開かれるそうです。
地元紙のDeseret Newsやキリスト教系報道機関のChristian Postによると、問題の講座はテレビやソーシャルメディアなどで広く注目を集めており、大学に対する抗議の電話や大学関係者に対する個人情報公開攻撃(いわゆる晒し)が相次いでいるとのこと。
そのほか、ネット上ではウェストミンスター大学に対してポルノ講座を取りやめるように呼びかける署名活動も行われています。
一連の状況に対し、ウェストミンスター大学のマーケティング部門総責任者シーラ・ヨーキン氏は「この講座の提供をやめるつもりはありません」と明言し、「当校のコミュニティは学問の自由と『困難なテーマを語り合うべき』という当校のコミットメントを支持します」とコメント。講座を担当するアイリーン・チャンザ・トーレス准教授は「この講座は単にポルノを鑑賞しておうちに帰るというものではありません。ポルノに関する積極的な対話や映画におけるポルノ表現の歴史の俯瞰も授業の一環です。人間は新しいテクノロジーを開発するとすぐにセックスに持ち込みたがる生き物です。それ故、テクノロジーの発展とともにポルノがどのように発展してきたのかを考えるというのは重要です」と説明しました。
Deseret Newsによると、2022年4月22日時点で18歳以上の学生14人が問題の講座を申し込み済みとのことです。
2022年4月26日 6時0分 GIGAZINE(ギガジン)
https://news.livedoor.com/article/detail/22065094/
さて、一気に気分を変えて「エロ」である。「テロよりエロ」「事件よりエロ」である。
今回の話題は「アメリカのユタ州でポルノ映画を一緒に見て語り合うという講座が2022年5月にスタート」するということである。日本では、経済の講座で、それも「もののたとえ」で「生娘にヤク漬け」という言葉を口にしただけで、大手外食チェーンの取締役が退任させられてしまうのであるが、アメリカは、それどころか講座でポルノを見るというのであるから、なかなか刺激的であり面白い。日本とアメリカの違いがかなり色濃く出てきてしまったのではないか。ある意味で表現の自由というのはこういうことなのであろう。
「ポルノ映画を鑑賞して、人種・階級・ジェンダーに関する性表現について討論」<上記より抜粋>
まあ、当然に大学に対して抗議の電話などが成谷あない状態であると書いているが、私自身は応援の電話をしたいくらいである。アメリカではポルノは1300億円市場になっており、この抗議の電話は、その市場を否定していることに過ぎない。ジェンダーなど行っている人は、実際にそのような話ではなく、男女平等になる用意女性用のポルノ映画も作ればよいだけではないか。なぜそのように思考が出来ないのかは、非常に疑問だ。何でも規制したり、講義したりということで、何が解決するのであろうか。実際に性行為は、人類が人間である以上必要なものであり、そのようなことをしっかりと考えるべきであろう。そのうえで、LGBTなどの考え方をするならば、その内容も作ればよい。あとは、どれを選択するかということは、個人の自由であり、その表現を帰省するのは何かが違っている。
そして、そのような「表現を行ったもの」は、当然に批評すべきであり、また、その内容に関して討論をすべきであると考える。
上記に「テクノロジーと共にポルノがどう発展してきたのか」ということを描いているが、実際に、「技術」という機械的なことが多くく取り上げられるようになってからこそ、逆に「ポルノ」という、非常に動物的でなおかつ扇情的なことを研究することで、バランスを取らなければならないのではないか。効率重視では、当然に人間はある意味で精神的におかしくなってしまうのであり、その人間賀動物であるゆえに、動物的な内容の事もしっかりと研究する必要があるのではないかと考えるのである。そのような考えが、何故できないのか。それは、講義をしている人が「エロい目線でしか物事を見ることができない」からであり、それを、自分がエロいことを各氏て青少年とかLGBTなどということを言って隠しているのにすぎなのではないかと考えているのである。
やはり「人間が動物である以上」もっと言えば、「機械ではないのだから」、人間はエロについてもっと知らなければならないのことは少なくないのではないか。