【荏原】白金猿町
町名:白金猿町
読み方:しろかねさるまち Shirokane-Sarumachi
区分:町丁→大字
起立:1879(明治12)年3月14日
廃止:1932(昭和7)年9月30日
冠称:「白金」
現町名:品川区東五反田四丁目
1879(明治12)年3月14日、東京府荏原郡大崎村品川台町は東隣の東京府芝区白金猿町に吸収され、白金猿町71~111番地となった。しかし1889(明治22)年5月1日、東京市市制施行に際し、大崎村へ戻されて東京府荏原郡大崎村大字白金猿町となった。1908(明治41)年8月1日、大崎村は町制施行し、当地域は東京府荏原郡大崎町大字白金猿町となる。
1932(昭和7)年10月1日、荏原郡全域が東京市に編入となる。大崎町町域は東京都東京市品川区に編入となり、当地域は下大崎一丁目に編入となり消滅。現行の東五反田四丁目のうち。
撮影場所:白金猿町(品川台町からの編入区域)
品川台町→
さて、画像真ん中辺りの右下がりに引かれている点線に注目していただきたい。
上の地図は桜田通り、都営浅草線の高輪台駅付近のもの。この付近は嘗て白金猿町といった。しかし点線の左側(西側)はもともと東京府荏原郡大崎村品川台町という別の町であった。だが、1879(明治12)年に東隣の東京府芝区白金猿町に吸収され、白金猿町71~111番地となった。しかししかし、その10年後の1889(明治22)年5月1日、東京市の市制が施行された際、再び大崎村へ戻されてしまい、大崎村大字白金猿町となった。
現在でもこの点線は区境として活きており、西側は品川区、東側は港区となっている。この点線によって地価の差は相当開いているのだろうと容易に想像できる。
そしてもう1つ。カインドステージ高輪台に住む子供は品川区立の、そして隣のフォレシティー白金台に住む子供は港区立の学校に通っているのだろう。普段は見えないこの点線のせいで、同級同士でも一緒に遊んだりすることはないのだろうと思うと何となく寂しい気持ちになる。
↑ 左がカインドステージ高輪台(品川区)、右がフォレシティー白金台(港区)。どちらもいいマンション。個人的には正直どちらでもいい。