【荏原】品川歩行新宿
町名:品川歩行新宿(品川一~三丁目、裏町(他に1字あり))
読み方:しながわかちしんしゅく Shinagawa-Kachi-Shin-Shuku
区分:町丁→大字
起立:1722(享保7)年12月
廃止:1932(昭和7)年9月30日
冠称:「品川」
現町名:品川区北品川一丁目
概要:武蔵国荏原郡品川領のうち。北品川宿の北に位置し(京急踏切から法禅寺辺りまで)、南・北品川宿とともに東海道の初宿。品川宿を構成。もと「北品川善福寺門前」、「北品川法禅寺門前」、「新町」と称された茶屋町で、年間1万2,000人の品川宿の歩行役を負担していたが、過重負担で次第に困窮し、旅宿設置を出願、1722(享保7)年12月に宿駅となり、「品川歩行新宿」と改称。
化政期(1804~1830年)の家数388軒、うち脇本陣1軒・旅籠屋27軒、他に自身番屋2・床番屋3。明和年間(1764~1771年)、海岸の寄洲を埋め立てる、1779(安永8)年の検地で1石余が高入となる。小名に「一~三丁目」、「大横町」、「鳥屋横町(後の清水横町)」があり、一・二丁目境の海岸にある物揚場は徳川家光と東海寺の沢庵和尚とが問答した場所で、俚俗に「問答河岸」という(新編武蔵)。
慶応4年(明治元年)6月19日(1868年8月7日)又は慶応4年(明治元年)6月29日(1868年8月17日)、武蔵知県事管轄地に所属。明治2年1月13日(1869年2月23日)又は明治2年2月9日(1869年3月21日)、品川県荏原郡に所属。明治4年11月14日(1871年12月25日)又は明治4年12月5日(1872年1月14日)、東京府荏原郡に所属。1872(明治5)年、北品川善福寺門前を合併。同年の戸数402・人口1,648(府志料)。
1889(明治22)年5月1日、南品川宿、南品川猟師町、利田新地、二日五日市村、北品川宿の一部と合併し、東京府荏原郡品川町が発足し、品川町大字歩行新宿となる。字に新宿一~三丁目、裏町(新宿裏町)他を持った。
1932(昭和7)年10月1日、品川町、大崎町、大井町の3町が合併して東京府東京市品川区発足。その際に北品川一丁目に編入となり消滅。
撮影場所:品川歩行新宿二丁目