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No.587「生き残りをかけて」「佐渡兄弟、ふたたび」「墓参り」

2020.05.30 06:24

2020.05.30.No.587

「 生き残りをかけて 」

なな.

 酵素玄米を始めました。世の中では今静かなブームなのだそうです。

 会員さんの中にも不定期で酵素玄米ご飯やさんをしている先輩がいらっしゃいます。配達に伺った時に高志がお土産にいただいてきたり、高志の代わりに運転をして配達をしたときにはちょうどお店を出している日に当たり、おじゃまして美味しい定食をいただきました。

「私はひどいアトピーに苦しんでいたのを酵素玄米に救われたから」と笑顔で話しておられました。

  炊いてから専用のジャーで3日以上寝かせた玄米はもちもちとした食感になり、とても消化が良くなるのだそうです。噛まなくてもいいと言う人もあるようで、小さい人からお年寄りまで安心して食べることが出来、体調不良の方の改善にも良いそうです。

 ご来店のお客様の80%以上が玄米ご飯を希望されます。これから、生き残りをかけて酵素玄米を打ち出していこうと思います。果たして新規のお客様を呼び込めるでしょうか?

頑張りましょう!!


「 佐渡兄弟、ふたたび 」

高 志

 自粛疲れなる言葉が飛び交う中、やたらと眠いのはそのせいか?などと勝手に世の中の流れに合わせようとしている自分に反省してはみるものの、それでもやっぱり眠い。

 目に見えないものに抑圧されているせいか、知らず知らずのうちに披露している。そういえば、我が奥様はしきりと口の周りやお腹の周りにできた湿疹に痒いと不満顔だ。そんな矢先、TVCMから流れるストレス性湿疹という言葉にいち早く反応し、『これだ、間違いない!?』と納得顔をしていた。

 目に見えない抑圧の力は馬鹿にできず、ひとつのものに囚われると他のものがすっかり抜け落ちてしまう。そのせいか、今回のお水採りにはまんまと携帯電話を自宅に忘れてしまった。

 さて、どうしたものか。様々な局面を想像して、対策法を練ってはみたものの、結局、無いものはしょうがないので悪あがきをやめて、出たとこ勝負に任せることにした。

当面の課題はお水採りの帰りに寄っている会員様へのお水の有無に関する確認だが、これも有用無用に関わらず、訪問して確認すれば良しと開き直った。

 果たして、その会員様は一向に連絡のないこちらの動きを読んでくれ、空きタンクとお水代を用意してくれていた。帰宅後、携帯電話のメールを確認すると、案の定その会員様からメールが届いており、配達があるかどうかの確認と、とにかく空きタンクとお水代を用意しておく旨が記されていた。ボケボケのこちらの対応にも関わらず、ありがたいことだ。

 そんなメールを確認する前、すなわち何も連絡が出来なかったにも関わらず、ご用意いただいたことに感謝と安どの思いを胸にしながら我が家にたどりつくと、家の脇に1台の車が停まっているのが見えた。また伸がレンタカーを借りてきたのかと思いながら、荷物を持って玄関を開けると、まさに足の踏み場もないビーチサンダルが占拠していた。いったい何人遊びに来ているのかとリビングへ向かうと懐かしい顔・顔・顔が食卓を囲んでいた。

 そう、佐渡キャンプに通っていたころ、滞在期間中に兄弟のように過ごしていた森田家の子供たちとその友達、そして西川家・阿部家の子供たちが勢ぞろいをしていた。佐渡に行かなくなってもう5、6年になるので、それだけのブランクが空いたことになる。

 まさに成長期の5、6年だから、女の子たちはすっかり素敵な女性に変貌し、男の子たちもすっかり大人びているのだが、佐渡兄弟が一堂に会し口を開けば、何てことはないあの時のままの子供たちであった。

 森田家の子供たち3人とその友人2人は佐渡を離れ、関東に居を構えているということだった。そして、この日、あの時の佐渡の海のように、今度は逗子の海でワイワイと大騒ぎをしていたらしい。その勢いのままお店に行ったものの、いくら非常事態宣言は解除されたとはいえ拒否されてしまい、我が家になだれこんだということだった。

 時が経ち、それぞれ社会人になったものもいるなか、こうして今でも集えることに感慨深さを感じざるをえなかった。あの時、子供たちは子供たちなりにどう感じながら過ごしていたのか、今まで聞くことのなかった話を聞かせてくれて、嬉しかったし大いに笑った。

 今度は、大人たちも交えて、その時大人たちは何を思っていたのか聞いてみたいということになり、大所帯で集まる計画が持ち上がった。

 その前に、今度の8月、子供たちは佐渡キャンプを行うことで大盛り上がりであった。夏休みの10日あまりの間、昼夜を問わず同じ時を過ごしていた子供たち。仲良く遊びまわっていると思ったら、とっくみあいの喧嘩になって大泣きし、そして次の瞬間また笑いあっている。あの時に感じ合っていた思いは、永遠なるものだった。 


 「 墓参り 」

上田 隆 

 5月13日は母の命日、1978年に亡くなった。今年は四十三回忌となる。1927年(昭和2年)生まれだったので、もし存命だったら今年は93歳。90代まで生きる人が多くなった今、母はずいぶん短命だった。

  墓は京都にある。父母は京都と大阪の中間にある街で住んでいた。母が亡くなったので、父が京都に墓を求めた。京都東山の山中にあるいわゆるマンション墓、土の上の墓ではない。父の合理性にびっくりした。父母ともに石川県生まれ、それぞれの本家には墓石の墓がある。子供の数が少なくなった現在、いつまで墓を守っていけるのだろうか。

  コンクリート建築の大きなお堂の中に仏壇形式のお墓がずら~っと並んでいる。隣の墓に父の兄、母の姉が入っている。上どうし結婚したので、ついでに下どうし結婚させたのだ。 あまりに近すぎたせいで、生前は仲の良い兄弟、姉妹とは言い難かったが、今は賑やかにやっていると思う。


  墓参りに行った5月13日は暑くまぶしい日だった。私はサン・グラスをかけて運転した。墓までは一時間あまり、カミサンと交代でハンドルを握った。

  帰宅前にトロカツオと鰆を買った。

 「今日はありがとう。精進落としやりましょう」

 疲れたので早寝した。 翌朝、ぐったりしてなかなか起きられない。カミサンも同じだと言う。

 「そうか、熱中症だったんや」 

 意見が一致した。コロナに加えて熱中症、今年の夏は気をつけないと。