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キリスト教で読む西洋史ー聖女・悪女・聖人・皇帝・市民

近代アジアの動乱5-第1次アフガン侵攻失敗

2022.04.27 11:32

1838年イギリスがアフガニスタンに侵攻し、第一次アフガン戦争が始まった。アフガニスタンは、16世紀にムガール帝国を造ったが、その後は戦乱の場となり、1835年ようやく今日の国の基となるアフガニスタン首長国ができた。しかしインドを支配するイギリスはロシアの南下を警戒した。

アミールのドースト・ムハンマドがロシア寄りだと警戒したイギリスは、前の支配者シュジャー・シャーを擁立し、北インドのシク国から大部分の兵を出してもらって侵攻した。2万の軍はさしたる抵抗もなく、39年8月6日カブールを制圧し、ドースト・ムハンマドは亡命した。

しかし41年にはカブールで騒乱が発生し、公邸が襲われ駐在官が殺害された。カブールにはシク国軍も帰ってしまい、軍はまるで手薄だった。そして今度は前首長ドースト・ムハンマドの息子アクバル・ハーンがトルキスタンから進軍してきた。イギリスの公使も殺害されて、安全な撤退を保証してもらうしかなくなる。

42年1月6日、イギリスとインド駐留軍とその家族16500人がインドに向かって出発した。しかしカブール外の各部族にとっては約束など知ったことではなく、襲撃が起こり、インド人の従者達は荷物を残して逃げた。寒さと襲撃で、結局この一行で帰った者はわずか1人しかなく、英国史上最悪の撤退と呼ばれる。