偉人『マリア・ジビーラ・メーリアン』
私が彼女マリア・ジビーラ・メーリアンに出会ったのは一人のドイツ人女性との出会いがきっかけである。出会ったというのは彼女の作品に出会ったというのが正確な表現であるが、幼稚園ママの誘いでトールペインティングに通いそこから白陶磁器に絵付するポーセリングペインティングに手を出したのである。ポーセーリングで出会ったのが生真面目で几帳面なドイツ人女性であり、彼女が絵付の参考にしたのがマリア・ジビーラ・メーリアンの絵画集であった。
一目見て好きになったマリア・ジビーラ・メーリアンの作品には決定的に他の女流画家とは異なる特徴があった。その特徴とは美しい花や植物の横に多様な昆虫が描かれていることである。そしてそれは美の追求で描かれた蝶のような昆虫だけではなく、いもむしやさなぎ、蛾なども描かれ、マリア・ジビーラ・メーリアンには私と同じ昆虫好きの匂いがしたのである。私は美しい花々や草木の中に自然のありのままの姿が描かれている彼女の作品の虜になってしまったのである。
彼女の描いた作品は一般的に美しいとされるばかりではなく、女性が苦手とされる昆虫の姿抜きでは語れない奥深い物語があるのだ。ファーブルが虫を研究する2世紀も前にここまで忠実に美しく昆虫を描いた画家はいない。またキリスト教中心の生物誕生が考えられていた時代にその発生を否定するような見解を絵画で示した勇気ある人物でもある。そして男尊女卑の著しい時代に家庭環境に恵まれたとはいえ、当時の女性の生き方を根底からひっくり返すような自立した女性であった。ではなぜそこまですることができたのかを私の立場で論じてみよう。
1647年マリア・ジビーラ・メリーアンはスイス人の版画工マテウス・メーリアン・ジ・エルダーとオランダ人の母の間に誕生する。しかし彼女が3歳の頃父マテウスが亡くなる。その後母が静物画家のヤーコブ・マレルと再婚したことにより彼女の人生が一変するのである。
継父のヤーコブの影響で彼女は絵画に興味を持ち始め、彼女の絵の才能を見抜いたヤーコブは熱心に手解きを行い、仕事で家を離れる時には自らの弟子に彼女の手解きを依頼し絵画教育を継続したほどである。彼女は弱冠13歳で『全てのいもむしは交尾を終えた蝶の卵からのみ生まれる』ことを発見したのである。今でこそ子供たちが小学校3年性で習う内容であるが、17世紀にこのような発見を13歳の少女がしたことは異例であり今になってはある。
彼女の絵画を見れば彼女の生涯がわかるとさえ言われている。当時の女性は家の中のことを行い仕事に就くことなど以ての外という時代であった。そして彼女は全ての生命は神によって作られたというキリスト教的思考とは真逆のことを証明し、尚且つ昆虫を描くための探究心を抑えることができず命をかけた船旅に出ていたことなどは大変興味深い人生である。
彼女がなぜそこまで昆虫に魅せられ、生物の生命の神秘の解明のために人生を掛けたのかを勝手に想像してみよう。
これまで多くの画家の人生を見聞きし調べてきたことで画家の共通点といえば、観察眼の素晴らしきことにある。多くの画家が自然事象に目を奪われ観察することに移行している。そしてその絵画は観察眼と手の器用さにより形作られていることは間違いない。彼女もまた女性の嗜みである刺繍を習っていたことで器用さに磨きをかけ、筆触のテクニックを確立していたように思うが、彼女の描くマユ糸やタランチュラの毛羽立ちを見れば他の画家とは一線を隠している器用さは一目瞭然である。
しかし彼女にとってこの昆虫の世界に魅了され本物の画家、昆虫学者になれたのは、人間の内面に大きく作用する『発見』そのものがあったからである。
人間の内面に作用する『発見』は残念ながらどの子供にも平等に授かるものではない。感度の良いアンテナを持つ一部の生徒が努力を積み重ねたり、いろいろな体験や経験をしたことで掴むことの出来るものであると常日頃子供と接し実感している。マリア・ジビーラ・メーリアンを通して子供の成長に必要なものを考えてみる。
1、発見の重要性
子供の成長に接しているといろいろな瞬間で子供たちの目が輝くことがある。分からなかったことが分かった瞬間、見えていなかったことが突如として見えた時、気付かなかったことに気付いた瞬間、予想を覆す新たな発見をしたときなどは子供の中に電流が流れ込むような衝撃的瞬間がある。子供たちはその発見で得た喜びを前面に出し声を上げて喜ぶ子、喜びを体で表現する子、機関銃のように次々と言葉が溢れる子とさまざまな表現をするが、彼らに共通していることは自分自身の中に内面的変化を経験し実感していることである。これまでの経験とはかけ離れた悦びに満ち溢れているともいえよう。そして自分自身でも大きく成長したことが実感し自信がついてくるのである。
マリア・ジビーラ・メーリアンも13歳にして蝶の変態という発見を通し想像以上の劇的な刺激と変化を受け、彼女自信が自分自身が活かせるのは『これだ』と自信がつき自分自身の得意性を活かし画家と昆虫学者としての道を見出したのだと考える。
またもう一つ彼女にとって功を奏したのが絵画的能力である。これは亡き父から受け継いだ遺伝的要素もあるだろうが、何より継父の見出しと導きによって目覚めたのは言うまでもない。彼女の優れている点は美を見出す力が圧倒的に高いことである。
2、美的センスの構築
美的なセンスとは単純に美しさを感じ取る感度の良さだと思うが、その焦点を昆虫の生態に見出したことがマリア・ジビーラ・メーリアンと他の17世紀のバロック期の画家とは大きく異なる点である。
当時の画題はキリスト教の影響を色濃く残す宗教画や歴史画、肖像画、風景画、静物画は男性が描くものばかりであった。彼女の描くものは幼い頃に観察し発見した昆虫の神秘性が画題のテーマになり、自然界の生き物が命を繋ぐ様子と食草を図鑑のようにありのまま描いただけでなく、彼女の手が生み出す繊細さが美しさに磨きを掛けたのである。特に手から放たれる繊細な感覚は女性ならではであり、些細な違いに気付くという点に置いても女性特有の審美眼によるものである。また彼女の色彩感覚は継父のアトリエで幼い頃から目にしていた顔料や絵画に触れていたからであろう。極端な考え方をするとモノクロが多用されている環境と色彩豊かに育った場合とでは、明らかに感性の感度には大きな差が出るのである。幼き頃から美しいものを目にするという経験がいかに重要であるかを再認識させてくれる画家である。
ではマリア・ジビーラ・メーリアンのように感度の良いアンテナを子供たちに授けるためにはどうしたらよいのであろうか。
3、感度の良いアンテナを持つために
それは時間を忘れて夢中になるものを持たせよということである。『好きこそものの上手なれ』『一意専心』という言葉があるが、好きなことを無心で集中して行えば上達をし、ひたすら一つの事に心を集中させれば揺るぎのないものが手には入るのである。世に言う成功者たちの根源にあるのはそういう事である。
私の立場から発言すると子供が好きでたまらないものは何だっていいと思うのだが、総合的に判断すると自然相手の事柄に夢中になることほどバランスの良い結果を獲得しやすい。物事に対する向き合い方や受け入れ方、あらゆる状況に対応できる力や視野や思考を広げるチャンスや可能性は絶大である。
さて偉人の幼少期のまとめに入ることとする。
マリア・ジビーラ・メーリアン、彼女名前は一般的にまだ知れ渡ってはいないかもしれない。しかしある分野に興味のある私のような者にとっては彼女の偉大さを知る事になるのあである。
人は揺れながら迷いながら生きるものであるが、彼女のように幼少期に教育として磨かれたものや自分自身で発見したものがあれば、迷いや躊躇ということは生まれずにこの道で生きていくと決めることができるのであろう。彼女のように幼い頃からある一つのことに夢中になり、人生を左右する決定的なものに出会うのは稀なことである。しかしなんの関係もない状況下で人生を決定することは少ないのではないだろうか。必ず何らかの影響のもと人生を決定していると考える。このことから多くの経験や体験、実践を積んで選択肢の裾野を広げておくことが良いのではないかと考えている。