柳原通商店街
陽だまり堂から東にある柳原通商店街。
その名前は名古屋城築城以前の名古屋北部は沼沢地で
その中の台地に柳が多数生えていたことに由来するそうです。
川筋の両岸に柳が多く茂った野原で
名古屋城が築城されるまでは沼や沢の中にある台地に
柳が多く茂っていた事から名付けられたと言われている。
天保12年(1841)に描かれた『田幡村絵図』に
大幸川(後の「黒川」)より南に「柳原海道」と書かれているが
他の地図にはこの道の名前は記されておらず
土居下から北へ大曽根下屋敷を建てたときに
整備された「御成道」の一部と推察されるそうだ。
この柳原周辺には城下町にちなんだ秘密のにおいのする道。
落城のときの脱出路、名古屋城の非常口として作られたとされるのが、
土居下と柳原の間にあった柳原海道である。
有事には藩主は同心たちに警護され屋敷から柳原街道を横切り、
小道を清水、大曽根を経て木曽を目指す手はずであったという。
また、柳原街道を通り御用水に出て、用水の岸を松並木に姿を隠しながら
落ち延びるルートも用意されていた。
地図には載せられない理由のある秘密の道が柳原商店街の元祖。
ここには旅人で賑わう街道はなかったが、
意味の深い役割の道があったのだ。
そんな海道も昭和37年12月柳原通商店街振興組合の設立
商店街として繁盛時には120店舗が連なる
全国でも有数の歴史の長い商店街として栄えた。
現在でも古き良き商店街の趣を感じさせる商店街の
今年で4年目の餅つき大会へお手伝いに行ってきました。
自衛隊も参加してブースで展示していた自衛隊仕様車
インパネは昔のジープを彷彿とさせる
シンプルな作りで如何にも軍用車。
子供に負けじと食い気味でじっくりみてました。
ポテトフライと唐揚げをひたすら揚げ続けるという
お手伝いだったので全く写真を撮る暇もなかく
残念ながら餅つきの様子などの写真は一切ございません。
つきたてのおもちをおはぎにして美味しくいただきました。