【南豊島】麻布宮村代地町
2017.12.18 14:06
町名:麻布宮村代地町
読み方:あざぶみやむらだいちまち Azabu-Miyamura-Daichimachi
区分:町丁
起立:江戸期
廃止:江戸期
冠称:「麻布」
後身:麻布広尾町
現町名:渋谷区広尾五丁目
概要:『東都麻布之繪圖』では「宮村町代地」、「宮村丁代地」とある。元地は暗闇坂と狸坂を挟んだ地域にあった麻布氷川神社社地。しかし幕命により増上寺隠居所となった際、同地に居住していた住民も移転を余儀なくされ、広尾祥雲寺南側と東側に代地を指定された。麻布領域から出たが、町は「麻布宮村町代地」と称した。現在の住民の中には広尾稲荷神社の氏子、渋谷氷川神社の氏子に混ざって、麻布氷川神社の氏子が存在する。
『御府内備考』では麻布十六ヶ村の1つとして既に麻布宮村町代地が存在。その後、「麻布十二町」と言われた頃にも町名はそのままだったが、1668(寛文8)年に家作を認められたときには「麻布宮村代地町」と名乗っていたようだ。1713(正徳3)年、町方支配となる。年代不明だが、江戸期中には麻布広尾町に編入となり消滅。その後の宮代町となった現・広尾四丁目(笄開谷)とは名前に関連性があると思われるが(参考『渋谷区の町名・町界重ね地図』)、宮代町は麻布宮村代地町の北であり、町域はかぶっていない。
撮影場所:麻布宮村代地町