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江戸町巡り

【南豊島】中丁

2017.12.18 14:56

町名:中丁

読み方:なかまち又はなかちょう Nakamachi or Nakachō

区分:俗称か道名か

起立:江戸期

廃止:1868(慶應4・明治元)年

冠称:なし

現町名:渋谷区千駄ヶ谷四・五丁目

概要:これは新町とともに掲載するか悩んだが掲載。新宿御苑に埋もれた北部以外の、現在「千駄ヶ谷」として認識されている町には、北に六軒町通り(新屋敷六軒甼)が、そして南には新甼通り(下通り)という道があり、その丁度真ん中辺りには中丁通りという道がある。

六軒町通りは津田塾大学前からJRの線路高架下を潜って新宿御苑の南側に沿った道であり、新甼通りは千駄ヶ谷大通り商店街の道である。それに対し中丁通りは非常に地味で分かりにくく、国立能楽堂の北東から都道414号・首都高速道路4号新宿線を越え、渋谷区立鳩森小学校南西までを走る。「中丁」とはその中丁通りの南北を便宜的にそう呼んだ俗称であろうと思われる。例によって中丁通り南北には町屋は存在しないためである。また、途中で四谷仲殿町(四谷御駕町)、黒鍬町御切手町と垂直に交わるが、ではその交差点はどちらの名称なのかということも全く不明。

ただ、この中丁通りは1868(慶應4・明治元)年起立の「千駄ヶ谷仲町」の真ん真ん中を突っ切る道であり、「千駄ヶ谷仲町」の起源になっている可能性もある。

撮影場所:中丁

撮影地:渋谷区千駄ヶ谷四丁目19番7号(さくらマンション)

四谷御駕町 新町