【南豊島】内藤新宿北町
2017.12.18 15:05
町名:内藤新宿北町
読み方:ないとうしんじゅくきたちょう Naitō-Shinjuku-Kitachō
区分:町丁→大字
起立:1869(明治2)年2月
廃止:1920(大正9)年3月31日
冠称:「内藤新宿」
現町名:新宿区新宿二丁目
概要:江戸期の四谷太宗寺門前(町)で、明治維新直後に「四谷永住町」と改称。明治2年2月9日(1869年3月21日)、品川県豊島郡に所属。その際、「内藤新宿北町」と改称。町名の由来は、甲州街道の南側にあった四谷天龍寺門前を「内藤新宿南町」と改称したのに対応したもの(四谷天龍寺門前はそれ以前に「広島町」と改称していた)。明治4年12月5日(1872年1月14日)、東京府豊島郡に所属。1872(明治5)年の戸数40・人口155(府志料)。
1878(明治11)年11月2日、東京府南豊島郡に所属。1889(明治22)年5月1日、内藤新宿町が成立し、東京府南豊島郡内藤新宿町大字内藤新宿北町となる。1896(明治29)年4月1日、豊多摩郡が成立、東京府豊多摩郡内藤新宿町大字内藤新宿北町となる。
1920(大正9)年4月1日、東京府東京市四谷区に編入され、大字内藤新宿二丁目とともに「新宿二丁目」と改称して消滅。
※『角川日本地名大辞典』は「大正9年、内藤新宿町の四谷区への編入に伴い、内藤新宿2丁目となる」とあるが間違い。
撮影場所:内藤新宿北町