【南豊島】四谷太宗寺門前町
2017.12.18 15:05
町名:四谷太宗寺門前町
読み方:よつやたいそうじもんぜんちょう Yotsuya-Taisōji-Monzenchō
区分:町丁
起立:江戸期
廃止:1868(慶應4・明治元)年
冠称:「四谷」
後身:四谷永住町
現町名:新宿区新宿二丁目
概要:『千駄ケ谷鮫ケ橋四ッ谷繪圖』には「四谷太宗寺門前町」とあるが、『江戸切繪圖:俚俗:内藤新宿辺』には「四ツ谷太宗寺門前」、『角川日本地名大辞典』では「四谷太宗寺門前」。
門前の範囲は、『千駄ケ谷鮫ケ橋四ッ谷繪圖』では新宿区新宿二丁目15番1号から新宿二丁目15番22号まで、『江戸切繪圖:俚俗:内藤新宿辺』では新宿区新宿二丁目9番1号から新宿二丁目15番22号まで、『大江戸今昔めぐり』では新宿区新宿二丁目15番1号から新宿二丁目15番22号までとなっている。
太宗寺は「霞関山本覚院」と号し、浄土宗増上寺の末寺で、1577(天正5)年の草創。門前町屋は1625(寛永2)年の起立で、元禄年中(1688~1704年)に町奉行支配となる(備考)。化政期(1804~1830年)の家数は107軒(町方書上)。
慶応4年5月12日(1868年7月1日)、江戸府に所属。慶応4年7月17日(1868年9月3日)、東京府に所属。年内中に「四谷永住町」と改称し消滅。その後の明治2年2月9日(1869年3月21日)には「内藤新宿北町」と改称して消滅。その際、この地域は品川県豊島郡に所属となった。現行の新宿二丁目のうち。
ちなみに、現在の四谷四丁目にあった四谷永住町の起立は1872(明治5)年。
撮影場所:四谷太宗寺門前町