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江戸町巡り

【南豊島】内藤新宿南町

2017.12.18 15:09

町名:内藤新宿南町

読み方:ないとうしんじゅくみなみちょう Naitō-Shinjuku-Minamichō

区分:町丁→大字

起立:1869(明治2)年

廃止:1920(大正9)年3月31日

冠称:「内藤新宿」

後身:旭町

現町名:新宿区新宿四丁目

概要:江戸期の四谷天龍寺門前で、明治維新直後に「広島町」と改称。明治2年2月9日(1869年3月21日)、品川県豊島郡に所属。その際、「内藤新宿南町」と改称。町名の由来は、北側にあった四谷太宗寺門前(町)を「内藤新宿北町」と改称したのと対をなしたもの。明治4年12月5日(1872年1月14日)、東京府豊島郡に所属。1872(明治5)年の戸数209・人口874(府志料)。

1878(明治11)年11月2日、東京府南豊島郡に所属。1889(明治22)年5月1日、内藤新宿町が成立、東京府南豊島郡内藤新宿町大字内藤新宿南町となる。「新宿追分旧上水路南方の地をいう。社寺の外旧天龍寺門前は昔より細民多く住するを以て貧民窟の称あり」(画報)。

四谷鮫河橋、芝新網町下谷万年町の三大貧民窟と並ぶ貧民街。江戸中期から岡場所として発展した内藤新宿にほど近いことから、日雇いや車夫の他に、辻芸人等も暮らしていた。

明治通りの東側の一帯は木賃宿が軒を連ねる「新宿4丁目ビジネス旅館街」。1887(明治22)年の「宿屋営業取締規則」によって、木賃宿営業許可地域に指定された場所で、今もその名残が色濃く残っている。この法令は、三大貧民窟をはじめとした都心部の貧民を、周辺地域へ拡散させるための措置だったといわれる。三大貧民窟に暮らした人々の多くが間借りだったの対して、この地域では、木賃宿を常宿として暮らす人が多いのが特徴だった。新宿4丁目ビジネス旅館街の中で、ひときわ目を惹くのが、2階部分を上下に2分し、玄関横に飾り窓のある老舗の旅館・中田家(現存)。

嘗て南町の真ん中に位置した天龍寺は、江戸時代の初めに移転開山した寺で、一説には江戸の裏鬼門鎮護の役割を担っていたともいわれている。また、天龍寺の境内は湧水が豊富で、渋谷川の源流の1つとなっている。水源と寺の関係性は元鮫河橋陽光寺門前と共通している。

雷電稲荷神社は、源義家の目の前で雷雨がたちどころに止んだ白狐の伝説に因む神社。1928(昭和3)年に歌舞伎町の花園神社へ合祀されたものの、跡地に鳥居や祠が再建され、旧地を示すものとして現存している。

1896(明治29)年4月1日、豊多摩郡が成立し、東京府豊多摩郡内藤新宿町大字内藤新宿南町となる。

1920(大正9)年4月1日、東京府東京市四谷区に編入され、「旭町」と改称し消滅。

撮影場所:内藤新宿南町

撮影地:新宿区新宿四丁目4番23号(雷電稲荷神社)

内藤新宿添地町 広島町