天地が合わさって生命は明るく咲く
一指李承憲@ILCHIjp
·空気を通して 鼻から天が入り 食べ物を通して口から地が入ります。
私たちは天と地に根を下ろして咲いた一輪の美しい花です。
陰陽の出会いが明るい光を作り出すように天地が合わさって私たちの生命は明るく咲いています。
FacebookIlchi Leeさん投稿記事
肉体は年齢を重ねるが、#意識は年齢を取らない。ある瞬間にキラキラと輝く意識がある。
その意識はあなたの名前に閉じ込められておらず、本当に永遠です。
瞑想とは自分自身を見つめること。 自分の体から自分を切り離し、感情から切り離すことです。 それは鏡のようにあなたの意識をきれいにすることです。 だから、あなたはその意識の鏡で自分を映し出しているのですか。 完全に清潔で明確な意識-それは、自分自身を明確に正確に見るためにあなたの意識の在り方です。
本当に明確で静かで平和な意識-それがあなたが本当の自分です。 それが生命の源であり、創造の力です。 ゼロポイントとはまさにそういうことだ。
もしその意識が消えてしまえば、私たちが遭遇できるのは感情です。
感情はクモの巣のようなものです。 だから、あなたがそのクモの巣に閉じ込められたら、あなたの純粋で明確な意識は消え、それらの感情はあなたに変わります。
多くの人は、自分をその感情状態(彼らは自分自身をその感情だと思っている)。 そして、彼らはそれに執着し、それらの感情が常に感情と衝突することで、人々は互いを愛し、互いを憎み、互いに争い、無数の感情を生み出す。
でも、あなたが発見した意識には、過去も現在も未来もない。 過去に行けるし、現在に行けるし、未来に行ける。 最も透明で純粋な意識のその場所に到達したときのみ、真の自由を見つけることができます。
Facebook清水 友邦さん投稿記事 「失われた魂」
約1万6000年もの間、環境を破壊せず戦争をしなかった縄文時代は世界でも類のない平和な時代でした。争いを好まず和を尊ぶ心 人を同じ仲間としてやさしく迎え入れる心 富を独り占めにせず誰にでも平等に分け与える心 個性や能力の差を認めながら調和できる心
自然に対する感謝と畏怖の心 日本に住む人の心には縄文の心が延々と引き継がれてきました。
今から140年前の1877(明治10年)に東京大学の教授としてエドワード・S・モース(Edward S.Morse 1838-1925)がアメリカから来日しました。
モースは東京都大森貝塚を発掘調査した縄文(cord marked pottery)の名付け親です。
彼は持ち前の好奇心で庶民の生活用品のコレクションを集め膨大なスケッチと日記をのこしていました。
モースは「日本その日その日」 (講談社学術文庫)で次のように述べています。
『日本人は行儀がよく働き者で正直で、親切で微笑みを絶やさない。日本人は生れながらに善徳や品性を持っている。』
『日本人の家は開放的で鍵をかけない、日本人の子供や召使いは触ってならぬ物には決して手を触れぬ。部屋に子供や召使いが何度出入りしても物がなくならない。泥棒や乞食が少ない。』
『貧しい家も清潔で品があるし、下流に属する労働者も正直、節倹、清潔だ。最も貧しい寒村の子供は不潔だったが、野獣性も悪性も、また憔悴した絶望の表情もなかった。子供たちは大事にされ物優しく育てられている。』日本は子供達の天国でした。
『子供はうるさく叱られることもなく大切に育てられた。日本の子供程、行儀がよくて親切な子供はいない。また、日本人の母親程、辛抱強く、愛情に富み、子供につくす母親はいない。他のどこの国の子供達よりも多くの自由を持っていた。世界中で両親を敬愛し老年者を尊敬すること日本の子供に如くものはない。』『日本人の暮らしぶりは見栄を張ることが全くない。生活道具は少なく簡素だが洗練されている。』『火事の災難にあっても涙を流す人も、いらだった様子の人も見ることはなく、意地の悪い言葉も一切聞かなかった。
そして持ち出した畳や襖をたて、その中で小さな火で魚を焼いたり汁を作ったりして彼らは普段通り幸福そうに見えた。』
そしてゴミを出さないエコロジカルな都市だった江戸についてモースはこう述べています。
『日本人はある神秘的な方法で、彼等の廃棄物や屑物を、目につかぬように埋めたり焼いたり利用したりする。いずれにしても卵の殻、お茶のカス、その他すべての家の屑は、綺麗にどこかへ持って行ってしまうので、どこにも見えぬ。』
『この地球の表面に棲息する文明人で、日本人ほど自然のあらゆる形況を愛する国民はいない。嵐、凪、霧、雨、雪、花、季節による色彩の移り変わり、穏やかな河、とどろく滝、飛ぶ鳥、跳ねる魚、そそり立つ峰、深い渓谷。自然のすべての形相は、単に嘆美されるのみでなく、数知れぬ写生図や掛け物に描かれるのである。』
『日本人の繊美な装飾芸術を見た後では、日本人が世界中で最も深く自然を愛し、そして最大な芸術家であるかのように思われる。』
『衣服の簡素、家庭の整理、周囲の清潔、簡素で魅力に富む芸術、礼儀正しさ、他人に対する思いやり、自然に対する愛 これ等は恵まれた富裕な階級の人々ばかりでなく、最も貧しい人々も持っている特質である。』
このように日本人の礼儀正しさや正直さを大いに賞賛したE・S・モースでしたが日本の未来をこのように予言していました。
『この国のあらゆるものは、日ならずして消え失せてしまうだろう』モースは西洋の近代化がもたらす弊害を見抜いていたのです。
1890(明治23年)に来日したハーン(小泉八雲)も近代化に邁進して、しだいに近代合理主義に変わりつつある日本の姿に顔を曇らせていました。
「霊も天使も悪魔も神々も今はいません。みな死に絶えました。電気と蒸気と数学でできた世界は、がらんとして冷たく、虚ろです。 」
「金儲けがなされ、収入が高く、生活水準が絶えず上昇し、必然的に無慈悲な競争が行われている所では、精神的・道徳的な弱者は、他の地域におけるよりもっと恐ろしい極端な行動に駆りたてられる。将来、日本の産業が発展すると共に、必然的に弱者の不幸の増加と、その結果として起こる悪徳と犯罪の増加が危ぶまれている。」
明治に来日したハーンも今の日本の姿を予見していました。
近年、来日したウルグアイのムヒカ元大統領は「日本人は本当に幸せか」と問いかけました。「今の日本はあまりにも西洋化してしまい。本来の歴史やルーツはどこにいってしまったのか」「西洋にある進んだ技術に対抗できないことを認め、彼らに勝る技術をつくろうと頑張ったんだ。そしてそれを成し遂げてしまった。でも、そのとき日本人は魂を失ってしまったんだ」「すごい進歩を遂げた国だとは思うけど、産業社会に振り回されていると思うよ。本当に日本人が幸せなのかは疑問なんだ。西洋の悪いところをマネして、日本の性質を忘れてしまったんだと思う。日本文化の根源をね」
「過去の歴史に自分のルーツを見つけ出す必要がある。多くの障害を乗り越える強さを持っていた。それがあなたたち日本人なんです。」
近代化のもとに西洋に追いつこうと物質的な豊かさを追い求めて、お金の価値がなによりも優先されるようになって本来の自分を忘れてしまった日本。
大きな時代のターニングポイントが訪れている今こそ本当の自分を取り戻すチャンスなのです。