十字の花
Facebook相田 公弘さん投稿記事
もう歩けない。何度も死を覚悟した。ジャングルの川の中で力尽き、このまま流されて死ぬんだと思った。「同級生2人のお骨は私が内地の両親に届けなくちゃいけない。絶対に死んじゃいけないと自分に約束した。けれども、かなわずに死のうとしたの」
元従軍看護師の木村美喜さん(89)=埼玉県桶川市=は激戦地のフィリピン・ルソン島で約1年、敵の爆撃機や砲弾が四六時中頭の上を飛び交う中、傷病兵や患者の救護に従事しながら生き抜いた。食べるもの、飲むもの、薬もない。無数の死体が転がる山の中を逃げ回り、行軍した。仲間や兵士たちは次々に命を落とした。
生まれも育ちも桶川。日本赤十字社埼玉県支部の看護師だった1944年7月、召集を受けてマニラ郊外の陸軍病院に派遣された。当時16歳。埼玉班26人で最年少だった。歯科外来に勤務し、当初は不自由のない生活をしていた。
9月、マニラ初空襲。次第に戦火が拡大し、12月に病院は解散。絶え間ない空襲の下、部隊はマニラから北に約250キロのバギオに移動した。
悲劇が襲ったのは、45年1月23日。正午前に大編隊の爆撃機が襲来し、病棟は瞬く間に火の海になった。がれきの中で「助けて」とさけぶ声。焼け落ちた梁(はり)が目の前で女性に直撃し、頭が飛び散った。外に逃げた人々は次々と機銃掃射で撃たれて犠牲になった。
埼玉班も9人が戦死。「今夜は夢でいいからお父さん、お母さんに会いたいね」。前日に梅干しをしゃぶりながら古里の話をした同期2人は骨だけの状態と、顔や手足、内臓がない状態で見つかった。
4月、バギオから撤退。山の中で終わりなき逃避行を続けた。昼間は空から見つかるため移動できず、夜は砲弾が飛んでくる。草のしとねに横たわり、古里の歌を口ずさむと、歌声はいつしか涙声に変わっていった。「みんな『白いご飯をおなかいっぱい食べたい』『死にたくない』と言いながら死んでいったの」
埼玉班の仲間も一人、また一人と病気や栄養失調で亡くなった。「今度死ぬのは自分の番だ」。どんなときも肌身離さず持っていた親やきょうだいの手紙や写真、日の丸の寄せ書きを河原で焼いた。死んでから人に見られたくなかった。
終戦を知らされたのは8月17日。途端にマラリアで40度の高熱が出た。捕虜収容所に行くまでの山を下りられず、同僚3人と部隊から取り残された。もう半歩も動けない。道の両側は腐臭を放つ死体の山。うじが団子になって、ハエが真っ黒にたかっていた。ゲリラの先住民の足跡を見つけるたびに背筋が凍った。
ジャングルの川の中で先輩に泣きながら懇願した。「お世話になりました。私はここに座っていたら流されてしまう。待たないで先に行ってください」。そのたびに言い聞かされた。「一足歩けば一足日本に近づく。一足歩けば一足お母さんに近づく。日本に帰りたかったら、お母さんに会いたかったら歩きなさい」。その言葉に背中を押され、何とか収容所にたどり着いた。
約4カ月の捕虜生活の末、12月に復員。日赤病院に同期2人の遺骨と遺髪を届けた。桶川駅で母の胸に抱かれてわんわん泣いた。17歳だった。
戦後は助産師として働いた。「もし日本に帰れたら、たくさんの兵隊さんの亡きがらを葬ってきた分、この手で新しい命を取り上げよう」。収容所で毎晩、誓った夢をかなえた。抱いた赤ちゃんは数え切れない。3分間に4人取り上げたこともある。自らも子ども3人、孫5人に恵まれた。
今は子や孫のため、社会のために一日でも長く生きていたいと願う。戦争を経験した人が減り、自分の代わりがいないと思うから。多くの講演を引き受け、本も出版した。戦争を知らない若い人たちみんなに、一度でいいからこれまでの話を伝えたい。「戦争は人の殺し合い。もう二度としては駄目。命は本当に大切。一つっきりしかないんだから。かけがえがないんですよ」
出典元:埼玉新聞より引用
http://nsg.dreamlog.jp/archives/53829939.html 【正義の反対は正義】より
みなさん、こんにちは。NSG安積本校の菅井です。
中東の情勢が不穏な空気を孕んできています。アメリカがサウジアラビアの石油施設への攻撃にイランが関与したとして強く非難し、「戦争」という言葉も出て来ています。我々日本人としては、最大の原油輸入先であるサウジアラビアでのことで、「またガソリン高くなるの」と対岸の火事のように眺めています。一方、アメリカは「世界の警察」として世界の秩序維持のため積極的に行動するでしょう。まさに「正義の味方」ですね。では、イランが実際に関与しているとして、「悪の組織」として行動したのでしょうか?答えは「NO」です。彼らは彼らの国のために行動しているのです。イランにとってはアメリカやサウジアラビアが「悪」なのです。
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このことは、長い戦争の歴史からもわかります。同種族内で多くの殺し合いを行うのは人間だけです。それも「人を殺すのはいけないこと」と分かっているのにです。では、なぜ戦争が起こるかと言うと、それはそこに「正義」があるからなのです。
ベトナム戦争はアメリカが唯一勝てなかった戦争です。アメリカは「資本主義社会」を守るため、大きな犠牲(敵・味方とも)を出しながら戦いました。北ベトナムは、自分たちの理想の国家を建設するため、強大なアメリカに戦いを挑みました。
どちらが正しくて、どちらが間違っているか、皆さんは判断できますか?
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では、これらのことは、国家間のレベルでしか起こらないことなのでしょうか?
中学生は、来週、中体連の新人戦が行われます。試合に勝てるよう、皆さん、一生懸命練習していると思います。「勝ちたい」と思っているのは、当然、対戦相手も同じです。まさに「正義」と「正義」のぶつかり合いです。
では、相手のために負けてあげることがよいことなのかというと、それは違いますよね。全力を尽くして負けたとしても、そこには必ず「得るもの」があります。それを自らの「成長」につなげることが「部活動」の大きな意義です。
そして、試合が終わった後、余程のことがない限り、大きな争いにはなりませんね。それは、お互いがなぜ戦うのかという目的をしっかり理解しているからです。お互いを理解できれば、争いは避けられるのです。
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突然ですが、皆さんは「反抗期」ですか?
反抗期は「自我の芽生え」によって起こるもの。言い換えれば、皆さんの中に「自分の正義」が生まれた証でもあるのです。では、皆さんが反抗する相手であろう「学校の先生」「ご両親」「塾の先生」をはじめとした「大人」は「悪」なのでしょうか?
残念ながら、ほとんどの場合、大人が皆さんに言っていることは正しいです。皆さんよりも多くのことに触れてきた経験から、皆さんのことを思って話しているのです。それは正に大人側の「正義」です。一方、先ほど書いたように、皆さんの「正義」も自分の中で「正しい」と思っているものです。その2つがぶつかり合ったら、お互いに引けませんよね。
ただ、暴力はいけませんが、お互いが納得するまで「話し合う」ことは、むしろ良いことだと考えます。小中学生が、経験を積んだ大人に対して、口で勝とうとするのは容易ではないと思います。しかし、ふてくされてそこから逃げ出しても何の解決にもなりません。自らの「正義」を信じるのであれば、最後まで戦うべきです。(ちなみに、私は先生や親がキレて力押しになったら「自分の勝ち」と思っていました。生意気な中学生・・・)
とはいえ、前述の通り、大人は君たちのことを思って話をしています。そのことは理解して、初めから聞く耳を持たないのではなく、まずは耳を傾けて、自分の考えが違うのであれば、きちんと相手に伝えましょう!
大人である私たちも、皆さんがどう考えて、その言動をしているのかを考えながら接していけなければなりません。注意する際も一方的にするのではなく、なぜそういった行動をしたのか考え、話を聞き、皆さんが「納得」できる内容でなければ理解してくれないことを、改めて肝に銘じます。
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お互いにぶつかり合うときは、どちらも「自分が正しい」と思っているときです。相手の話に耳を傾けつつ、「なぜ相手はそう考えるのか」を考えながら、「自分の方が正しい」と思うのであれば、相手が納得するまで筆舌を尽くし、歩み寄る余地があるのであれば、互いが納得する着地点を探ることが「大人になる」ということです。
「反抗期」は大人になるための一歩。正しい反抗期?を過ごして、より良い大人になってくださいね。