導入と歴史
血液が凝固するという事実は、当然の如く自然発生的だと見做され、生理学者・医師・化学者によって説明の試行錯誤がされてきたが、満足な結果をもたらしていない。この説明への介入の詳細な歴史は、既知の仮説や体系の無意味さを示すだけだろう。これら全ての仮説の中で、ただ一つ注目に値するものがある。それは、まさに最近の研究者が検討も検証も怠っているものである。この仮説の構想の歴史は非常に興味深い。
有史以前から、流出した血液はすぐに赤く、一貫して多少の柔かさを持つ塊となることが知られており、この現象を同種の液体の凝固に準えて、"凝血"と呼んでいた。
ハラー[※1]が(ディドロ[※2]の百科事典「血液」の項目の捕捉にて)血球に関するレーウェンフック[※3]の誤りを数カ所指摘した後、血球は血液の赤い部分にのみに存在する必須の構成要素であり、「恐らく牛乳にも存在する」と主張したのは、18世紀になってからである。しかし彼は、血球の姿は一定であり、単なる脂肪顆粒の塊でなく...外接・境界・固形であると認識していた。
※1:アルブレヒト・フォン・ハラー
(Albrecht von Haller 1708-1777):※2:デュニ・ディドロ
(Denis Diderot 1713-1784):
※3:アントニ・ファン・レーウェンフック
(Antonie van Leeuwenhoek 1632-1723):
ハラーはまた、血液の自然凝固を初めて観測される事実に据え置いた(この話はアリストテレスにまで遡る)。アリストテレスを中心とした古代人達に広く認められたのは、血液の構成要素は線維であるということである。この線維は、古代の学者達から血液の凝固可能な物質の基盤だと考えられていた。こうした線維は、血液を放置すると必ず形成される、小さな膜を素材としたある種の網目のような凝血の中に視認される。そして液体部分から分離すると明確に視認できる。
しかしハラーは、線維こそが血液の構成要素だとは考えなかった。彼は「こうした線維が血球と同様に血中に存在すると著者が理解させたいならば、確かに誤りである」と述べている。
自身の見解の根拠として、彼は数学者のボレリ[※4]を引き合いに出している。ボレリは「血液の構成要素中の線維説に初めて反発した人物であり、ブールハーウェ[※5]や彼に続く他の偉大な人物も同様だ」と述べ、更に「ある状況下で、線維と破片が血中に生じるのだと著者達が言いたいならば、彼はそこには反対しなかった」と付け加えたが、しかし、これらの線維と破片は、血液の赤い粒子からではなく、リンパ液で生まれているようだと観察した。
※4:ジョヴァンニ・ボレリ
(Giovanni Alfonso Borelli 1608-1679)
※5:ハーマン・ブールハーウェ(Herman Boorhave 1668-1738)
つまりハラー曰く、血液にはリンパ液と称される液体に浮かぶ顆粒を除き、固形物や有形物は何もなく、顆粒を可視化する良い方法として、血液にある種の塩を加えて流動性と色を高めることを勧め、「あらゆる塩の中で血液に最良の色を与えるのは硝石(KNO3:硝酸カリウム)である」と述べている。血液のリンパ液から凝血の線維部分を取り出したハラーは、彼と同様に、血液に、あらゆるものが完全な溶液状態であるはずの液体中に懸濁する顆粒だけを視認した学者達の先駆者となった。
凝血の形成される状況、凝血の形成された血管に沿った形状、収縮の進行、黄色い漿液(当時は血清と呼ばれた)の排出など、全てが慎重な好奇心で観察された。収縮を終えた血液を、着色料を溶かした水で洗浄すると白い物質が生じるが、これは血液の線維質部分と呼ばれ、化学用語の改変でフィブリンと名付けられた。フィブリンは最終的に、凝固する前に血液をホイッピング(棒で掻き混ぜる)することで分離された。偉大なドイツ人の生理学者J.ミュラー[※6]はハラーと同じ考えで、以下のように書いている。
※6:ジョナサン・ミュラー
(Johannes Muller 1801-1858):ドイツの生理学者、比較解剖学者、魚類学者、爬虫類学者
「血液中の液体(リンパ・サングイニス)とは、凝固前に存在する無色の液体のことであり、その液体中を血球が泳いでいる...血中の溶解物の全てを含有している。凝固の瞬間、液体自体がそれまで溶解していたフィブリンから分離する。」そして、カエルの血液を顕微鏡で観察した結果から、彼は自身の研究で「アルブミン以外に、フィブリンが血液の液体部分に溶解していることが証明された。」と考えた。
H.H.シュルツは、ハラーの言うリンパ液に血漿と名付け、同じものをミュラーはリンパ・サングイニスと呼んでいた。
J.ミュラーの結論は、既出の別の考察形式に対する反論、或は矛盾であることから、より慎重なものであった。ヒューソン[※7]は二つの見解を発表した。内一つはミュラーの見解と一致し、もう一つは独自の物であった。前者に依れば、フィブリンは血中に溶液状態で存在する。他方曰く、細かい顆粒状に懸濁した状態で血液中に存在する。更に彼は、小球にはフィブリンが含まれないことを認めた。
※7:ウィリアム・ヒューソン
[ミルン・エドワード]※8はヒューソンの二つ目の見解を採用し、フィブリンは血液に溶液で存在しないとしたが、固形状で細かく分解した状態であり、細かい顆粒形式の時には、血液が流出して放置された後、凝血、或はホイッピングによって線維質に統合されてフィブリンを形成するとした。
※8:ミルン・エドワード:
デュマ※9はジュネーブの医師プレボスト※10と共同で、凝固理論にフィブリンの顆粒起源を初めて確認し、後にミルン-エドワードの見解を部分的に受け入れた。そうした天才達の見解を説明することは重要である。彼は述べる。
※9:ジャン・バティスト・デュマ
※10:プレボスト
「フィブリンのどの特性も、血中に存在する状態を説明する手段にならない。フィブリンを既知の過程を経てこの状態に戻すことはできない。事実、血液の中には、液体で自然に凝固しやすいフィブリンが含まれている...血中のこのフィブリンが溶液として存在せず、細かい分裂状態で存在し、液体が動いている限りその状態を維持するが、静止状態では、フィブリン粒子が、線維と膜状の網目に統合する性質の結果として突然停止するという信念に辿り着く。」
後に彼はこの見解を以下のように修正した。
「血液には、自然に凝固可能なフィブリンが懸濁状態か、或は溶液に近い状態で多数含まれており、これは実際に溶解しているように見受けられる。独特の流動した状態で存在していることが分かる。これは澱粉の水溶液中で、水と混ざった澱粉が示すものと類似している。」
しかし、ヒューソン、ミルン-エドワードも、血中のフィブリンの個々の状態に関する著名なデュマの見解も、見ての通り、真実に最も近かったが、あまり考慮されず、すぐに見られなくなった。生理学者達はJ.ミュラーとシュルツが容認したハラーの見解に回帰した。"血漿"という用語はリンパ液を踏襲し、顆粒を除いた全てが血中に完全な溶液の状態で存在するとされた。最終的に、血液は溶液状態ではフィブリンを含まないと信じるようになった。つまり、血液凝固の"corps de delit(犯罪体)"と言われるフィブリンは順々にアルブミンと同じ物質だと想像され、更に
・血液中のアルブミンは、血液のアルカリと結合したフィブリンに他ならず、結合していない部分のみが凝固できること
・プラスミンを含む血漿は、血管外に流出した際、自ら分解されることで固型のフィブリンと、メタルブミンとも呼ばれる溶解したフィブリンに変形したこと
・フィブリンは血中にも血漿にも存在しないこと
・しかし、それぞれフィブリノーゲン、フィブリノプラスチンと呼ばれる物質が溶液中に含まれており、血管外で発酵の影響を受け、アルカリなどの除去でフィブリンが生成されたということ
テナールの見解に雷同する化学者達は、フィブリンを分離された動物性物質と見做すようになり、これはつまり[シェヴルール]※11の定義する所の直接要素である。血液凝固現象とその原因に多大な関心を払った[グレナール]※12は、フィブリンを主題に以下のように書き残している。
「科学はフィブリン、"corps de delit(直訳:"犯罪体")"、凝固の組成を未だ構築できていない。フィブリンがアルブミンから抽出されるのか、その段階の一つと考えるべきか不明である。この物質の公式は化学者同士で変わる。これが余分なものなのか排泄物なのか栄養なのか有機廃棄物なのかも不明である。」
従って、仮説に仮説が続く一世紀の後に結論を固めるべく、我々はハラーが遺した疑問点に回帰したのだ。ミルン-エドワードとデュマの構想や、その検証と思われる研究にも注目されないまま、フィブリンの真の性質も起源も理解していない科学者が凝固現象の説明でオカルトに走ったことは驚くべきことではない。
著名な英国の外科医[ハンター]※13は、このように考えた。
※13:ジョン・ハンター
「血液は印象によって凝固する。つまり、血管から出た後の静止状態では、流動性は都合が悪く、もはや必要ないため、固型性という必須の習慣に応じて凝固する。また、「血液はそれ自体の中に力を持ち、その力で必要性の刺激に適合するように行動する。必要性は、それ自身が置かれた立場から生じる。」
そしてハンターはハラーの時代に記していた。暫く後、[ヘンレ]※14は、循環停止直後の血液凝固の原因は不明とした上で、以下のように述べている。
※14:フリードリヒ・ヤコブ・ヘンレ(1809-1885):ドイツの解剖学者、病理学者、医師である。顕微鏡を使った解剖学の分野で、腎臓のヘンレのループなどの多くの発見をした。疾病の微生物原因説を唱えたパイオニアである。
"凝固とは、しばしば生命の最後の行為、即ち血液の死と見做される。"
この観点はヘンレのものではないが、近年になって復活し、血漿という言葉が意味するシステムに適合するようになった。つまり、血液凝固に関する興味深い観察に満ちたこの著作から、次のような命題を集めることができる。
・血液にはそれ自体の生命が宿る
・凝固とは、血液の死と同義である
・自然凝固の事実により、血漿はその主要な特性である生を失い、組織化された体液の状態から直接要素の不活性な集合になる
・凝固の後は、血漿の組織破壊である
・異物との接触による流血への致命的影響に数分に亘って奮闘するのが、この組織の事実である
ここで深堀する前に、言葉の仮面の下にある実体を探ってみることにする。
上述の提案をした著者は、ハンターのように"印象"、"固型性の必須な習慣"、"必要性の刺激"といった言い回しを血液の自然凝固現象に使っていないのは真実だが、彼は"オカルト原 因"の障害を免れたのだろうか?
生体由来の血液が生きていることは真実だ。しかし、血液凝固がその死によるものというのはオカルトによる"説明"ではないのか?しかし、組織だった体液である血漿の主要な特性が仮に生存だとするなら、生命の喪失になるような接触による致命的影響に対して組織が奮闘する、というのもオカルトによる"説明"ではないのか?構成する物質が直接要素以外有り得ない溶液中の液体である血漿もまた仮説と定義により完全な溶液状態であり、その自然凝固の原因がその組織破壊等とするのはオカルトによる説明ではないか?
そしてオカルトによる説明の価値とは何か?この疑問のニュートンの解はこうだ。
「物事の各種が特定のオカルト的性質を帯びており、それによって一定の作用力を持ち、感覚的な効果を生み出すことができると言うことは、全く何も言っていないことと同義である。」
それにも関わらず、1875年に著者(M.グレナール)が、現象の説明を探究する中で解剖学と生理学と化学から外れた考察の極地に成り果てたとしたら、それは当時の科学が満足のいくものを何も提供しなかった為である。
尚、後に、M.フレイは、ミュラーとハラーの手法に回帰して述べた。
「解剖学的観点から研究すると、血液は無色透明の液体である血漿(サングイニス液)と、そこに浮遊する二種類の細胞要素、有色細胞の赤血球と無色細胞のリンパ球が考察の対象となる。」
そしてフィブリンに関して彼は述べる。
「凝固前に組織の液体にどのような形態で存在するかは不明であり、一般にアルブミンの派生だとされている。」
つまり赤血球と白血球が血液中で唯一有形の要素であることになり、血漿は血漿を構成する物質を完全な溶液状態で保持しており、ミュラーがサングイニス液で実証したと考えたように、こうした物質は有機的観点からアルブミンに還元されている。更に、フレイは完全にそう信じ切っており、
「生体の栄養液で産生される急速な栄養転換が、生前のフィブリン形成を妨げている。」
これは完全に、流出時の血液にはフィブリンが含まれていないということになる。そして、ここでは、ハラーもミュラーもリンパ、或は血液の液体部分の自然な性質の主題に対して微塵も偏見がないように観察されるかもしれない。一方、血漿が"サングイニス液"の同義語とされるとき、問題は予断を許さない。同義語としての血漿が組織と生命の特定の構想に付属するものであることから、"生命は物質の活動の特殊な形式である"とする体系に準拠しており、この体系とは[ビシャ]※14の教義から著しく乖離している。ビシャ曰く、生命は、直接物質に付随しておらず、その形態と構造に関して限定された解剖学的要素に付随する。この点について、私は血液の自然凝固を解剖学的、生理学的説明をする際に強調しよう。
しかし、グレナールとフレイが執筆する数年前、ベシャンとエストールは、血液には二種類の顆粒以外に、第三の有形要素の存在があることを実証し、形態と特性を明確に決定し、凝固現象を何らオカルト的要素なく説明することを可能にした。グレナールは自身の論文で、我々の研究に触れて以下の言葉を残している。
「後の著書での詳述を忘れぬよう、ベシャンとエストールの微小発酵体に関する理論と題した章は割愛する。」
グレナールが上記の題目の章を著書から省いた理由をどこかで創作したかは不明である。私には、エストールと共に取り組んだ研究を継続し、完成させることができなかったという大いなる悲しみがあった。1876年に離別し、その後エストールが早過ぎる死を迎えたことで、高名な共同研究者で献身的な友人であるエストールを奪われたのだ。私は独力でこの問題の完全解決を追究しなければならなかった。私の最新の研究は、M.フリーデル氏がソルボンヌに提供してくれた研究室で行われている。
私の研究の一部の成果が、様々な雑誌に掲載されたノートに記されている。最新版は1895年、ボルドーで開催されたフランス科学振興協会の大会に提出された報告書の形であった。しかし、いくつかの部分、特にこの研究の冠であり要である部分は、本作品が現れるまで未発表のままであった。血液の第三の有形要素の発見は、血液の自然凝固現象の研究過程でのことではない。しかし、エストールと私は、当時主流だった瀉血後のフィブリン産生の考えに従い、凝血形成の説明にこの方法を適用した。私がフィブリンの研究を血液凝固の観点から再開した時、既に牛乳の凝固問題はこの考えとはある意味全く異なる解決をしており、これはグレナールの論文の出版の随分前であった。グレナールは以下のように述べている。
「凝固の第一原因を無視しているだけでなく、我々はその直接原因ですら知らない。我々はこの血液の状態の変化が、物理的・化学的現象なのかも分からない。これが結晶化なのか沈殿化なのかもだ。」
私が大きく勘違いしていなければ、これは著者がハラーも、後のミュラーもヒューソンもミルン-エドワードもデュマも確実とした案にも疑念があったことを意味する。即ち、凝血の形成はフィブリンが直接・間接原因であることにである。凝固が血液の状態の変化とする主張に関しては、その著者が血液の解剖学的・化学的組成を牛乳のそれと同じ以上に知らなかったことを証明している。
1869年の我々のノートに、血液の微小発酵体がフィブリン産生の第一原因であり、凝固の間接原因と明示的に言及されている。私の最新の研究では更に、血中の微小発酵体とフィブリンの存在が相関しており、一方は他方の前提となっていることを実証した。検証には、デュマが構築したミルン-エドワードの構想を完成させつつ、この相関を説明するだけでよい。これら新たな研究は、自発的とされた有機物、一般的な直接要素、特に自然な植物と動物性物質の変化の原因究明において、古今東西の研究とも合致していた。即ち
(1)発酵の起源の問題と発酵の生理学的理論
(2)発酵の自然発生仮説とされる問題点の否定的解決
(3)呼吸中に生じる微生物の尿素の起源
(4)アルブミノイドの化学構成とその化学分子の明確な特異性の実証
(5)ビシャの教義に依拠する生物の真の理論
その後、血液の自然凝固に関する問題の完全解決には、先に幾つか難解な問題を解決しておく必要があることが分かる。これらの問題をここに時系列で列挙する。
1.凝血から分離、或はホイッピングで得たフィブリンの性質
2.アルブミノイドの直接要素の真の特異的個別性
3.流血時における血液中のフィブリンの状態
4.血中の赤血球の真の構造
5.流血時の血液の真の構成
6.流血した血液の凝固について真の化学的・生理学的意味
上記は後の章の見出しになる。
この後の展開で、血液の自然凝固と呼ばれる現象が、全く以て血液それ自身の凝固ではなく、その第三の解剖学的要素だけの凝固であることを理解することが可能になる。そうすれば、不適切に凝固と呼ばれる現象が、その後の血球破壊や他の変化、更には有色色素の変化を伴う血液の完全な変質の第一段階に過ぎず、更に言えば、この血液の自然変性が、極一般的な現象、即ち生死に関わらず動物から抽出された固体・液体の動物性物質の全てにある自然変性という現象の特殊例に過ぎないことが分かるだろう。生理的に自然発生的な変化であり、不可欠なものであり、時には細胞の解剖学的要素自体の破壊をももたらす。これは、これらの物質に存在する微小発酵体が主要な作用因子となる特殊な発酵現象の結果である。