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「宇田川源流」【GW特別編集 第三次世界大戦突入か?】 ウクライナとロシアの関係戦後史

2022.05.02 22:00

「宇田川源流」【GW特別編集 第三次世界大戦突入か?】 ウクライナとロシアの関係戦後史


昨日はウクライナの地理的な特徴について書いてみた。

ではそのロシアとの関係はどのようになっているのであろうか。

何の歴史もなくただ隣であるからといって、突然戦争をするというような話は少ない。

つまり、過去に何らかの因縁があり、その因縁から特別に両国の感情が悪化しているというようなことを考えるべきではないか。

その意味で、歴史というのは、このような時に非常に重要な内容になっているのだ。

そのような意味で、ウクライナとロシアの内容を考えてみる。

ウクライナの原型は、ある意味で「キエフ公国」という国あたりまでさかのぼるとよいのかもしれない。

キエフ公国とは、ドネプル川中流右岸キエフを中心とする公国。9世紀末から 13世紀にかけてその公が大公として周辺諸公国に君臨したことにより,ロシア最初の統一封建国家 (キエフ・ルーシ) となった。大公は一族を征服地の公に封じ,巡回徴租によって産物を貢納させ,奴隷の獲得と通商路の確保のために草原地帯の遊牧民族と戦い,また有利な通商条約を求めてコンスタンチノープルへ遠征した。しかし、大公の死後内乱によって国力が衰退し、1240年バトゥの率いるキプチャク・ハン国軍によって完全に破壊された。

このキエフ公国があったことによって、ヨーロッパの文化がロシアにもたらされたということになる。つまり、現在のロシアがヨーロッパ型の文化になっていることの紀元は、このキエフ公国であると考えるべきであり、ある意味でロシアの起源であると考えられている。なお現在のウクライナの首都キエフ(最近はキーウというらしい)は、当然にこのキエフ公国の都ということからきているのである。

さて、そのキエフ王国がキプチャク・ハン国に占領され、そのことによって騎馬民族がこの地に入り込む。騎馬民族は、後にキャラバン隊の宗教といわれるイスラム教に入信するので、ウクライナからロシアの一部にイスラム教徒が入っているのは、この影響であるということが言える。ロシアといえばロシア正教と「何とかの一つ覚え」のようにいう人は、これらの歴史について全く認知していない。つまり、ロシア建国は1613年であることを考え、なおかつロシア正教はもともともギリシア正教の系譜であるということを主張し、1448年にモスクワ府主教座がコンスタンディヌーポリ総主教庁から事実上独立したということを考えれば、実際にはこの年まで、ロシア正教は存在しない(ギリシア正教または東ローマ帝国の正教会が存在していた)ということになるのであるから、イスラム教の方が先にロシアの地に入ったということになろう。

このように考えると、ロシアは、当然に「キエフ公国」「イスラム教(キプチャク・ハン国)」が先に入ったのであり、ロシアのロマノフ王朝はその後、そしてそのロシアのロマノフ王朝を倒したレーニンによるロシア社会主義は、もっと後に入っているということになります。

さてこのような順序は、外の人間からすると「どうでもよいこと」というように思いがちですが、当人にとっては、必ずしも放置できる問題ではないということになります。日本国内であっても、もちろん個人差はありますが、京都の人々が「元々都は京都にあったので東京の人を下に見ている」というようなことが言われているのと同じことであると考えられます。

このように「ウクライナはロシアの起源であり、ウクライナの方が古く、歴史がある」ということになります。日本の周辺でもそのようなことを主張する人々の国があることから、なんとなくわかるのではないかと考えられます。

そのような感情的な問題は、ソ連になってからも大きく影を落とすことになります。ソ連になってから、スターリンはウクライナに対して「ロシア化政策」を行います。ロシア化をしなければならないということは、逆に言えば、「ロシアに順応していない」ということになるのです。この事は、そののちに「ホロモドール」といわれる「食料制限政策」を行います。ホロドモールとは、1932?1933年にかけてウクライナ人が住んでいた地域で起きた人為的な大飢饉である。当時のウクライナは、ヨシフ・スターリンが最高指導者を務める旧ソ連の統治下にあった。この出来事は、飢饉を意味する「ホロド」と、疫病や苦死を表す「モール」を合わせて、「ホロドモール」と呼ばれている。ウクライナの自営農家(クラーク)の土地は没収され、農民は集団農場と国営農場に組織されていった。収穫した穀物は政府に徴収され、外貨獲得の有効な手段として国外に輸出された。しかし、その輸出量は国内消費分が不足するほど過剰で、恵まれた土壌を持つウクライナでも、課せられた収穫高の達成は困難であった。加えて天候不順も重なり、穀物の生産量は激減。食料が底を付き多くの農民が餓死する事態へとつながったが、スターリンは外貨獲得のために飢餓輸出を行い続けたのだ。この事から「ホロモドール」はスターリンが仕掛けたジェノサイドであるとウクライナでは広く信じられている。

前回(昨日)の内容で見た通り、ウクライナ東部ではこのホロモドール以降移住してきたロシア系住民が多いので、このウクライナの考え方に反対している人が多いのに対して、ウクライナのほかの部分では、ロシアに対して、やはりジェノサイドを仕掛けていると考えているのである。

スターリンは、このような中で飢餓を強いながら、同時にウクライナに「重工業化」を行った。港があるのであるから重工業の資源などを得るのは最もわかりやすい。飢餓のママは粗化されたウクライナ人はロシア人に恨みを持つようになったのです。

そのうえ、その重工業化殻ウクライナには「ヨーロッパ最大」といわれる原子力発電所や製鉄所が出てくる。くしくも今回その製鉄所がマリウポリでウクライナ人の陣地となり、またその原子力発電所での攻防が、民間人を虐殺しているのではないかという疑いの第一歩となるのである。そしてもう一つ、その原子力発電所で事故を起こす。それがチェルノブイリ原発の事故ということになる。

そのようなことからウクライナはロシアとの間に感情的に、また、ウクライナからの恨みが様々に存在するということになる。1991年、旧ソ連が崩壊する前の8月に、ウクライナはソ連からの独立を決議することになる。旧ソ連の正式な崩壊は、1991年の12月であるからウクライナはソ連が崩壊する前に、自主的に独立したことになるのである。そのように考えれば、ウクライナとロシアの関係はあまり良いものではなかったということになる。

しかし、昨日見てきたように地理的にはウクライナはロシアのヨーロッパ(特にNATO)空の防波堤でありなおかつ緩衝地帯であるということになる。

そのことからロシアは、クラフチュク大統領大統領から2014年のヤヌコビッチ大統領になるまで、親ロシア敵政治になるようにしてたのですが、しかし、2014年、プーチン大統領の介入が大きいこと、そして共産主義・社会主義政権にありがちな上層部の腐敗などから、ユーロマイダン革命が発生し、民主派が台頭するようになる。その時に、ウクライナは既に崩壊しているワルシャワ条約機構に替わるものとして、なおかつ、ロシアに対抗しうる勢力としてウクライナはNATOに加盟することを望んだのである。しかし、そのようなことをされれば困るロシアは、今回のウクライナ侵攻を行ったということになるのである。

これが、簡単に見たウクライナとロシアの関係であるといえる。

歴史的な齟齬、そしてそこにある感情的なしこり、そして民主主義と全体主義の対立。まさにそのようなことから、今回の戦争が発生したということになる。そして、これと似たような状況は様々な場所で存在するのである。例えば中国と台湾、北朝鮮と韓国、ロシアとモルドバやバルト三国、キューバやベネズエラとアメリカ、そしてイランとイスラエル、まさにそのような対立の芽が存在し、そしてその国家的な歴史を重視した感情のもつれは、現在も解消できていない。そのことが、今後大きな戦争につながる可能性、もっと言えば、同時に「大戦」に繋がる可能性が存在するということを意味しているのである。