ZIPANG TOKIO 2020「奥宮 眞名井神社は パワースポットの源(元伊勢 籠神社その弐)」
奥宮 真名井神社本殿
真名井神社本殿の裏手にある天照大神・伊射奈岐大神・伊射奈美大神が祀られている磐座
元伊勢とは
伊勢神宮は大小のお社を併せて125社から構成されていますが、 その中心となるのは天照大神をお祀りする皇大神宮(内宮)と豊受大神をお祀りする豊受大神宮です。両大神は初めから伊勢の地でお祀りされていた神ではなく、他の場所から伊勢へお遷しされました。その起源を繙くと、天照大神は第十代崇神天皇六年の八月まで宮中でお祀りされていましたが、同年九月に皇女豊鋤入姫命によって初めて宮中の外でお祀りされることになりました。その後豊鋤入姫命は天照大神の御心に叶う御鎮座地を求め各地を御巡幸されましたが、途中で第十一代垂仁天皇の皇女倭姫命にその任務をお引き継ぎになり、最終的には倭姫命が伊勢の地に皇大神宮を創祀されました。
「元伊勢」とは、天照大神が宮中を出られてから伊勢の五十鈴川の河上に御鎮座されるまで皇女が天照大神の籠もられた御神鏡をお持ちになって各地を御巡幸になり、一時的に天照大神をお祀りした二十数カ所の宮々のことを云います。
また、それとは別に雄略天皇の御代に天照大神のお告げによって丹波国(現在の丹後)の与佐(よさ)の小見(おみ)の比沼(ひぬ)の魚井原(まないはら)にいる丹波道主(たにわのみちぬし)の娘・八乎止女(やおとめ)のお祀りする豊受大神が天照大神の食事を司る神として伊勢に迎えられました。この丹波の魚井原で豊受大神をお祀りしていたお宮のことも「元伊勢」と云います。「海部家は豊受大神を祀った彦火明命の血脈であり、丹波道主の子孫にも当たり、また海部家の直系の女性が「八乎止女」を襲名し、豊受大神をお祀りしていたことが伝えられています。」つまり、雄略天皇の御代、「丹波国の丹波道主の娘の八乎止女が祀っていた豊受大神」とは、奥宮真名井神社(古称 吉佐宮)の豊受大神であり、「元伊勢」としての由緒が明らかとなっています。
他にも「元伊勢」伝承を有する神社はありますが、天照大神・豊受大神をその血脈の子孫が宮司家となって一緒にお祀りしたのは籠神社だけで、特別の「元伊勢」として崇敬され続けています。
奥宮 真名井神社
【別称】 豊受大神宮・比沼真名井(ひぬまない)・外宮元宮・元伊勢大元宮
【古称】
匏宮(よさのみや)・吉佐宮(よさのみや)・与謝宮(よさのみや)・久志濱宮(くしはまのみや)
【御祭神】
豊受大神を主祭神として、天照大神・伊射奈岐大神(いざなぎおおかみ)・伊射奈美大神(いざなみおおかみ)・罔象女命(みづはのめのみこと)・彦火火出見尊(ひこほほでみのみこと)・神代五代神(かみよいつつよのかみ)をお祀りしています。豊受大神は別名を天御中主神(あめのみなかぬしのかみ)・国常立尊(くにとこたちのみこと)・御饌津神(みけつかみ)とも云い、その御顕現の神を豊宇気毘女神・豊受比売とも云います。また食物を司るという属性の類似性から、倉稲魂命(うかのみたま)・宇迦之御魂(うかのみたま)・保食神(うけもちのかみ)・大宜津比売命(おおげつひめのみこと)なども同神と考えられています。『丹後風土記』に収載の「天女伝説」に登場する豊宇賀能売神も豊受大神の属性の神ですが、伊勢神宮外宮の主祭神の豊受大神とは別神で、豊宇賀能売神は御酒殿の守護神である「御酒殿神」として伊勢神宮の所管社に祀られています。
【磐座(いわくら)】
真名井神社本殿の裏手には、古代からの祭祀場である磐座が三カ所あります。磐座とは、簡単に云うと神の降臨場所或いは神の鎮座場所のことで、神を祀るための神聖な石や岩のことを云います。
豊受大神
五穀農耕や織物の祖神でありますが、「衣食住」を始めとする、あらゆる産業の守護神でもあります。特に水の徳が顕著で、生命の守護神でもあらせられます。
天照大神・伊射奈岐大神・伊射奈美大神
この磐座は日之小宮(ひのわかみや)と云い、天照大神を主祭神として、伊射奈岐大神と伊射奈美大神が併せ祀られています。伊射奈岐大神・伊射奈美大神は大八洲(日本)の国生み神話で有名ですが、籠神社奥宮の地真名井原に降臨され、天橋立(天地通行の梯子)をお造りになった神でもあります。この磐座は両大神が夫婦仲良く揃ってお鎮まりになっていることから鶺鴒石(せきれいいし)とも呼ばれます。また横から眺めますと、船の舳先のように見えることから「天の磐船」とも呼ばれています。縁結び、子授安産、夫婦円満、家内安全、延命長寿の御神徳が著名です。
盬土老翁の御神格は豊受大神・大綿津見神・住吉神に包含されています。 宇迦之御魂は稲荷大神、熊野大神は須佐之男神、愛宕神は稚産霊神・伊弉冉尊・埴山姫命・天熊人命・豊受姫命・雷神・迦遇槌命などを云います。
由緒
天橋立北浜にある真名井原に鎮座する真名井神社(まないじんじゃ)は元伊勢籠神社の奥宮であり、古代には「匏宮(よさのみや)・吉佐宮(よさのみや)」と呼ばれていました。 匏宮は天照大神の孫神であり、海部家の始祖でもある彦火明命が創祀した「宮」で、丹後の最高神である「豊受大神」をお祀りしていました。 その御縁故により、第十代崇神天皇三十九年に皇女豊鋤入姫命が御杖代となって「天照大神」を倭国笠縫邑から当地の真名井原にお遷しになり、豊受大神と天照大神を並び併せて「吉佐宮(よさのみや)」と称して四年間お祀り申し上げました。つまり「吉佐宮」とは、神代から豊受大神をお祀りしていた「宮」或いは、崇神天皇の御代に真名井原において豊受大神と天照大神を一緒に四年間お祀りした「宮」のことを云います。天照大神は最終的には垂仁天皇二十六年九月に皇女倭姫命が伊勢の地にお鎮め申し上げました。
その後おおよそ四百八十年経った第二十一代雄略天皇二十一年に倭姫命の御夢に天照大神がお現れになり、「皇大神(天照大神)、吾、天之少宮に坐しし如く、天の下にしても一所に坐さずは御饌も安く聞こし食さず、丹波国の與佐(よさ)の小見の比沼の魚井原(まないはら)に坐す道主(丹波道主)の子、八乎止女(やおとめ)の斎奉る御饌津神(食事を司る神)、止由居太神(豊受大神)を我が坐す国へ坐さしめむと欲す」とお告げになりました。それによって豊受大神は雄略天皇二十二年七月七日に天橋立北側にある真名井原から伊勢の地にお遷りになりました。両大神が伊勢にお遷りになった後、飛鳥時代に「宮名」を「吉佐宮」から「籠宮(このみや)」と改め、奈良時代に奥宮の地から現在籠神社が鎮座する場所に遷宮いたしました。遷宮した後の「吉佐宮」においても祭祀は続けられ、「真名井神社」と呼ばれるようになりました。
創祀・創祀者・祭祀
真名井神社の地における祭祀の始まりは大変古く、少なくとも弥生時代まで遡ることが出来ます。真名井神社の裏には古代の祭祀形態である磐座(いわくら)が鎮座し、その磐座(神が宿る石)で神祀りが行われていました。神を祀る常設の社殿(神社)という形態ができたのは仏教伝来以降とされています。それまで古代人は高い木や岩石、島や川などに神々が籠もると考え、それらを崇拝対象として神祀りを行っていたのです。真名井神社の地では神代の昔から石や磐に神が籠もっていると信じられ、磐座で神祀りが行われてきました。真名井神社境内地からはすでに縄文時代から人々が住んでいた証である縄文時代の石斧や掻器などが出土し、また弥生時代のミニチュア祭祀土器破片や勾玉が出土しています。そのため真名井原一帯は縄文時代から人間が生活を営み、神々をお祀りしていた神聖な地と考えられます。
真名井原では海部家の始祖彦火明命(天火明命)が豊受大神を創祀し、二代目の天香語山命が磐境(いわさか)を起こし、「匏宮(よさのみや)」を創建し、磐座の豊受大神を主祭神として神祀りを行っていました。天香語山命は、三代目の天村雲命が高天原より真名井原に持ち下った天の真名井のご霊水をヒサゴに入れ神祀りを行っていたと伝えられています。匏宮の鎮座する山は天香語山或いは藤岡山と呼ばれています
天の真名井の水
海部家三代目の天村雲命が天上に昇られ、高天原で神々が使われる「天の真名井の水」を黄金の鉢に入れ、地上に持ち降り、その御霊水を真名井原の磐境(いわさか)の側に湧き出る泉に遷し、豊受大神をお祀りする「神饌(神へのお供え)の水」としたのが、天の真名井の水の起源となっています。この御霊水は当社の豊受大神が伊勢にお遷りになった時、伊勢神宮外宮の上御井神社の井戸に遷されたと伝えられています。
比沼の真名井
「比沼(ひぬ)の真名井(まない)」とは、「久志備の真名井」という言葉から転化し訛ったものと伝えられています。
「久志備の真名井」とは、奥宮真名井原の地で海部家二代目の天香語山命が天と地を繋げる「天の真名井の水」を起こし通して、天(あめ)の磐境を起こし、豊受大神をお祀りしたところ、この真名井の地に泉が湧き出て「匏(ひさご)」が生えたので、三代目天村雲命がその水を匏に汲んで、その泉に遷し「神へのお供えの水」とした神秘的で不思議な故事からその水(泉)を「久志備の真名井」と云い、それが訛ったのが「比沼の真名井」であると記されています。それにはまた、「真名井」とは「宇介井」であるとも記されています。『記紀』神話によれば、天照大神と須佐之男命は神の意志を伺うために行う占いである誓約(うけい)を行い、それぞれの所持品から天照大神は活津日子根命(いくつひこねのみこと)・正勝吾勝勝速日天忍穂耳命(まさかつあかつかちはやひあめのおしほみみのみこと)・天津日子根命(あまつひこねのみこと)・天之菩卑能命(あめのほひのみこと)・熊野久須毘命(くまのくすびのみこと)をお生みになり、また、須佐之男命は多紀理毘売命(たきりびめのみこと)・市寸島比売命(いちきしまひめのみこと)・多岐都比売命(たきつひめのみこと)をお生みになりました。この神話では「神を生む行為を重視」するか或いは、「所持品を持っていた神を重視」するかによって生まれた神々が天照大神の御子神となったり、須佐之男命の御子神と考えられたりいたします。しかし、どちらにいたしましても、誓約を行い、高天原の神々が使われる「天の真名井の水」をそれぞれの神の所持品に吹きかけて、お生まれになった神々であることには間違いありません。この「天の真名井の水」が奥宮真名井神社の地に天から通じ、それを「天の真名井」「久志備の真名井」と云い、「真名井」は「誓約(うけい」の事である、と記されているのです。この地で豊受大神をお祀りしたのは海部家の始祖彦火明命ですが、その后のひとりは須佐之男命の御子神である市寸島比売命です。このように考えると、高天原における誓約(うけい)と天橋立の真名井原で行われた誓約があったと考えるのも浪漫があります。
籠神社 境内の御案内「奥宮 眞名井神社」
波せき地蔵
眞名井の御神水
鳥居と石段
眞名井神社
磐座 天照大神・伊射奈岐大神・伊射奈美大神
大綿津見神
うぶだらい
眞名井神社から石段を下る
続く・・・
鎹八咫烏 記
伊勢「斎宮」明和町観光大使
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丹後一宮 元伊勢 籠神社
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