ウィーン体制35-スペイン内戦勃発
2022.05.02 11:11
イギリス本国でもジャガイモ飢饉の影響はまぬがれるわけがない。小麦価格が高騰してパンが高くなり「飢餓の40年代」と呼ばれるほどだった。チャーティスト運動が再起動し、普通選挙への要望が活発化した。産業資本家は、物価を抑えるために、穀物法を廃止して、食料を自由貿易で輸入しようと要望した。
穀物法は大地主や農業資本家が支持して、議会と内閣は揺れに揺れた。1846年トーリー党のピール首相は、穀物法を廃止したが、党が分裂して、首相はラッセルに代わった。穀物法廃止で、アイルランド小麦が不利になった英国地主達は、アイルランドで牧畜に変える。住民の貧困と飢餓はさらに加速された。
しかしスペイン問題が発生した。スペインは33年にわずか3歳の娘イザベルが即位したが、それをめぐって内戦が勃発した。内戦は39年に終結したが、この女王の結婚問題をめぐって英仏が対立した。仏王ルイ・フィリップは抜け目なく、ブルボン家と結婚させようとする。
これに反対する英国は、ヴィクトリア女王と共にドイツのザクセン家との結婚を勧めた。しかしこの結婚はフランスが勝利、この失敗で、イギリスは強硬派でアヘン戦争を主導したパートマン子爵が外相に復活、英仏関係は冷え込み、スペイン内政の対立も激しくなる。