丁寧なプロセス。
Naoyaです。
ゴールデンウィークの真っ只中。10連休という人もいれば、カレンダー通りという人もいるでしょうし、休みなんてまったく関係ないという人もいるでしょう。でも、昨年や一昨年のこの時期と比べたら、今回は特に公的な制約がなく、気持ち的にもだいぶ楽になっている人が多いかと思います。
今日は二十四節気の7番目、立夏です。暦の上ではここから夏。そして端午の節句でもあります。まだ肌寒く感じる日もありますが、光で満ち溢れたいい陽気になってきているので、すでに半袖で過ごすときもあります。
数年前までは、毎年ゴールデンウィーク明けに熊野古道に行くことが定番になっていたのですが、コロナ禍になってからは行くのをやめています。これまで熊野にはゴールデンウィーク明けに3回と秋に1回行きましたが、今思い返してみると、そのときの自分という器に対して熊野での体験という内容量は、かなりキャパオーバーになっていたように思えます。器の大きさを考えることなく、急ぐようにどんどん詰め込んでいたような感じです。熊野に行ったことのある人ならわかると思いますが、あそこのエネルギーの強さはかなりなものです。
熊野に行くのをやめてからの数年は、自分の中でこれまでの経験をゆっくりと落とし込んで消化できている時間になっているように思えます。成長させていくために多少の限界越えのチャレンジはいいと思うのですが、あまりに容量を無視した詰め込みだと処理し切れないので、自分の器のキャパシティとそこに詰め込むもののバランスは、ある程度把握しておいた方がいいかと思います。そして、焦らずに進めていくことが大切です。
今年も熊野は見送ることにしました。今は精力的な活動よりも休息という感じ。静かにじんわりと消化しつつ、時間にゆだねて自分のエッセンスとして熟成させています。
どんなに欲張ってどんどん手に入れても、あるいは外から与えてもらえる機会があるとしても、やはり受け取って収める器というものがちゃんとしていないと、受け取れるはずのものすら受け取れなくなります。物事のプロセスというものは二種類あると思って、すっ飛ばしても大丈夫なプロセスときちんと段階を踏んだ方がいいプロセスがあります。器がちゃんとしていないまま、ただただ焦って受け取ろうとする貪欲な姿勢は明らかに後者です。
今の時代は時短や手軽さを重視している人も少なくありません。忙しいからとか、時間が限られているからとか、理由はいろいろあるでしょう。もちろん時短や手軽は便利だし、僕もそれを選ぶときがありますが、その一択だけにしないことが大切だと思っています。
時短で手軽にできたものでも、一見ちゃんと時間をかけたもののような仕上がりや完成に見えます。でも、やはりちゃんと時間をかけて丁寧なプロセスを踏んだものには、目には見えない質のようなものが確実に含まれています。
また然るべきタイミングが来たら、熊野へは行きたいと思っています。それまで、自分という器をきちんと整えつつ、これまで蓄積してきたものを丁寧に醸成して、自分の大切なエッセンスとして仕上げていきたいと思っています。