近代と信仰8-進歩派教皇ピウス9世
2022.05.04 11:14
1846年6月16日、教皇ピウス9世が誕生し、イタリア民衆は進歩派教皇の誕生と大いに喜んだ。彼はそれにふさわしく、7月に数百名の政治犯を釈放し、鉄道敷設やガス灯点火の委員会を設立した。イタリア統一にも理解を示し、オーストリアに立ち向かう教皇を、民衆は支持した。
その直後の9月19日、フランス南部の山岳地帯ラ・サレットで2人の牛飼いの子供の前に聖母が出現したとの噂がかけめぐった。その後この地方に奇跡的治癒があり、グルノーブル司教は調査の結果、これを聖母の出現と承認した。聖母は、現在の不信仰の広がりを嘆いて泣いていたというのだ。
ピウス9世は、カトリーヌ・ラブレーの前に出現したという聖母を信じており、11月9日に回勅を発表し、近代の不信仰を否定し、カトリックの慣習や教皇の無謬性を主張した。教皇は穏健な自由主義路線である。進歩派の弾圧は、かえって過激な革命路線を高めると批判的だった。
教皇はしかし議会設立を約束したり、47年にオーストリア軍がフェラーラを占領したとき、それに対抗する市民軍の創立を許可し、メッテルニヒ破門もほのめかす。またトスカーナやサルディーニャ王国と関税同盟を結び、将来のイタリア連邦を構想した。しかしこれに勢いづいた民衆は教皇の心配する方向に走り出す。