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琉大事件を考える(仮称)

大阪では…

2017.12.20 05:59



*下記の画像

1963年此花生健会会員となっている。

住んでいたのは此花区高見だけど

私の伯父は、西淀川区大和田の担当?もしていたとか。

その頃の西淀川区の状況は、辰巳さんの本に記されている

辰巳さんは、私の伯父のことをとてもよく憶えていてくれた。

私の母や祖母&親戚は、1959年(昭和34年)に奄美から大阪市此花区高見へ移住してきている。

高見は、戦前・戦中に住んでた事がある場所でもある。








1978年(昭和53年)

西淀川区佃コーポへ引っ越す。

その3年後に、辰巳家もコーポへ引っ越してきた。


私の両親は、共産党党員。

週に一度、わが家が集会所みたいな感じになっていた。


私の父は、東中光雄さんと対談をしたこともあるような活動家だった。


辰巳さんは、私の両親宛てのメッセージを添えて本をプレゼントしてくれた。

沖縄でのこと、知らなくて驚きだったよね。

沖縄でのことは、殆ど誰にも語らずに過ごしていたからね…

それは、黙っていたというわけでもない…




処分された学生のその後の人生が、あまりにも様々。

私の伯父の場合はその後、軍事裁判により島外退去命令をうけ沖縄を離れ、大阪で辰巳さんと出会う。


共産党のあゆみ、沖縄の核の存在、奄美と沖縄の歴史と時代背景…



浮彫にしなきゃ


つづく