Lobgesang - 讃歌(1)讃歌までの道のり
市民合唱団に入って10年になる。
“オーケストラで第九が歌えるなんて!”と、実に初々しい動機で入会した。あれから10年、“また第九かよ”と、いやまあすっかりすれっからしになってしまったわけだが、今は違う。
来年の第九は違うのだよ。
最初の合唱指導者は、音大をリタイアされたベテランの先生。豊かなバリトンで美しい歌声を聞かせてくださった。市民合唱団の大半が外国語に不慣れな中高年なので、歌詞にカタカナを振って歌うような(いい意味での)緩さがあった。
生まれてはじめてオーケストラと一緒に歌った第九の指揮は、バルカン室内管弦楽団創設者であり、最近では玉置浩二さんとの共演で有名になられた柳澤寿男マエストロという、まさにビギナーズ・ラックとしかいえない幸運に恵まれた。練習番号なんてのも生まれてはじめての経験で、マエストロに「モーツアルトMから!」と言われるたび、オロオロしながら楽譜をめくっていたのもいい思い出である。
震災から1か月後、初代合唱指導者が急逝された。途方に暮れる中、合唱指導とピアニストを兼任されていたY先生がピンチヒッターとして、またしてもとんでもない方を呼んできた。
合唱の世界で「一度は指導を受けてみたい」と言われる指導者のひとり、藤井宏樹先生だ。歌詞にはやはりカタカナが振られていたが、練習では音声学をベースに、母音と子音の発声を徹底的にたたき込まれた。藤井先生はすでにいくつもの合唱団で教えており、わたしたちの指導はおもにお弟子さんが担当した。大学院を出たばかりらしく、最初は「大丈夫か?」と不安になったりもしたけれども、彼はめきめきと力をつけてきた。毎年新しい曲と出会うたび、新しい発見があり、彼の成長をまぶしく見守っていた(偉そう)。
そして、お弟子さんは、とある放送局の児童合唱団のスタッフとなって羽ばたいていった。
藤井先生もご多忙を究め、ついに今年、わたしが入団してから3人目の合唱指導者を迎えることになった。ドイツ留学中で、10月に完全帰国されるという。
多摩東部のこの地に降り立つドイツからの使者。この天使はキューピットか、それともケルビムか。
続きます。