泪橋
番組の延期に寄せられる賛否。あの忌まわしき事故を連想しかねぬ、いわゆる社会的な「配慮」というものらしく。と申しても実際に放映されとらん訳で、まだ見ぬものを巡って騒ぐに別な意図がありはせぬか、なんて。
中には不快感を抱く視聴者とているやもしれず、が、それをいわば連日のあの報道とて悲しみ癒すに程遠く。見る見ぬの判断は当人の選択に委ねられている以上は何もそこまで、とは言い過ぎか。悲しき死はそこのみにあらず、そこを酌むなら日々喪に服するが如き、「中止」ならぬ「延期」、話題になればかえって次回の視聴率も、なんてことは。随分と意地悪が過ぎた。
人生にやぶれ、生活につかれはて、ドヤ街に流れてきた人間たちがなみだで渡る悲しい橋。いつかこの橋を逆に渡ろうじゃないかと、橋のたもとにジムを構えた意味を説く隻眼のトレーナー。漫画「あしたのジョー」の一場面。過酷さなくして結果なく、最後は体力以上に気力が勝る、との根性論を信奉しとる一人にて。
昨今はプロスポーツの世界などでも故障の原因は年齢以上に酷使による疲労と実証されつつあって。何もがむしゃらに走るだけが結果を生むものになく、いかに故障を抑えるか、回復効果を高めるか、そこを意識すれば生涯現役も夢ならず、とか。
とりわけ、持久系の種目においては顕著だそうで、高まるマラソン人気。いまや、ウルトラやトレイルに挑戦している年齢層や二十代に留まらず。年齢は二の次、若いヤツなんぞに負けておれん、と挑みし前回は653人中162位の成績。もうまもなく50歳ですぞ。が、まだまだ上が。
そう、今年も「日本縦断『川の道』フットレース(東京~新潟513km)」が繰り広げられていて、自ら有する最高齢の記録を塗り替えんと鉄人が挑んでおられ。その壮絶な手記が届いた。
残念ながら途中棄権となりました。走行距離は約250km、群馬県の下仁田から長い峠を越えて、長野県の佐久市に入ったところで、中間の休憩ポイントである小諸キャッスルホテルまであと12km程の地点でした。前夜の休憩ポイントである秩父・両神荘を昨夜23時に出てからほぼ一昼夜走歩してきたので、もうくたくたでした。制限時間(5/2 24時00分)までは2時間程あったものの、残り2時間で12キロを走る体力は残っていませんでした。この間、2回の転倒による怪我も気になることもあって、今回の挑戦はこれまでと、潔く諦めました。チャンスがあれば、再度挑戦したいと思っています。
当人の年齢は喜寿以上、傘寿未満だったはずで。80歳で250kmを走る、いや、それ以上に途中棄権にも懲りずに次回「も」513kmに挑戦せんとする気概が若さの秘訣か。ちなみに鉄人が本格的にランを始めたのは会社の退職後というから歴だけは私のほうが。
(令和4年5月5日/2709回)