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オムツと涙とハーバード

妙齢女性の人生における「タイミング」論

2017.12.21 09:14

忘年会シーズンですね。今年はあまりご縁がなさそうです。

忘年会ラッシュが無いとなんとなく師走感が無いような。。。


さて、先日、大学の後輩と話している時に

「いやー、留学するなら今のうちにと思って」

と言ったところ、

「え、『今のうち』が子供生まれた後って、普通と感覚違いませんか」

と言われた。


私の感覚が世間と少しズレているとするならば、

それはきっと私が、踠きつつも「タイミングの呪縛」と向き合って

留学を決めたからかもしれない。


女性の人生は常に「タイミング」に振り回されていると言っても過言ではない。


大学卒業くらいまでは、自分が「女だ」と強烈に意識するシーンはあまりないのだが、

就職をして、歳を重ねるごとに、

周囲で結婚ラッシュの波が第一波、第二波、第三波、、、

出産ラッシュの波が第一派、第二波、、と来るたびに


仕事・恋愛等日々目の前の生活に「集中、集中、、」と呟きつつ走りながらも、

「タイミング〜」という亡霊がイチイチ優先順位の選択を迫って来るのだ。


たぶん、それは「生物学的に子供が産める年齢」が

常に頭の端にチラつくからで、


少なからず「私にとっての幸せってなんだろう」「今これが最良の選択なんだろうか」と

悩む瞬間が女子ライフには必ずある。


東京タラレバ娘やSATCに共感せずにはいられない独身時代は勿論、

結婚したとてもそれはゴールではなく、

さらに他人に時間とお金を拘束されるという制約を上乗せした上で

仕事・子供と色々な優先順位の選択を迫られ、

持久戦のようにますます悩みは深まるばかりなのだ。


ちなみに、「タイミング〜」と見て、

1998年のブラックビスケッツの歌を思い浮かべたアナタ。


私は思い浮かべましたよ。

正確には、ふと思い出しましたよ。

ええ、20年ぶりくらいに。


気になって改めて歌詞を見て見たら、

こんな感じだった↓


「ヒトも街も宇宙も まわれまわる“タイミング”

ヘンにね合わせ過ぎても たぶん辛いだけさ


たまに間のワルさも 大事なんだね”タイミング”

君と僕のシアワセ 笑いながら行こう」


***


さて、私の留学のタイミング、である。


巷でキーワードの「人生100年時代」のリカレント教育の波に乗るとすれば、

いつ留学しようと良いのである。


むしろ10年仕事をしてから大学院に行く私を模範生として褒めてほしい。


が、私は最初から子連れ留学をしようと思っていたわけではない。

前々から漠然と「いつかは」と思っていたし、

留学するならケネディスクールに、と思って説明会に参加してたりもした。


ただ、真剣に勉強して受験することを考えたのは、

主人についてボストンに行ってからだ。


我が家は入籍してすぐに私がカナダに駐在し、

その1年後には主人がボストンに留学し、遠距離夫婦だった。


私は子供が欲しいと思っていたので、帰任辞令が出た時、

カナダから東京に帰任せずに、一旦会社を退社して、

主人のいるボストンに同行することにした。

(退社といえど、3年以内は復帰できるという有難い会社の制度を活用させて頂いた。)


しかし、ボストンに行ってわかったことは、


「そんなに簡単に子供はできるわけではない」


ということだ。


結局、ボストンに滞在した1年弱では子供はできなかった。


国立社会保障・人口問題研究所の2015年調査によれば、

不妊を心配したことのある夫婦は3組に1組超、

検査・治療を受けたことがある(現在治療中含む)は約2割弱だ。

30代前半の私の妊娠確率は18%程度。


普通に生活していれば半年から1年では子供ができる計算であり、

一般的には2年できなかったら不妊症という定義になる。


キャリアとプライベートとを天秤にかけた上で

帰国してするはずだった仕事や、駐在に出してくれた上司の期待や、

様々なものを断腸の思いで手放して、

「よし、今のタイミングは子供だ」と思い

旦那と一緒に暮らすことを選択した私にとって、


天秤にかけた結果の一番の目的である子供が授からないことは、

本当に苦痛だったし、大きな挫折感だった。


フルタイムで仕事をしていないので時間は無駄にあり、

毎日体温計を見て一喜一憂したり、

自分の食生活や過去の無謀な仕事ぶりを責めたり、

幸せなはずの友人の出産報告を喜べず目を背けたり、

旦那に申し訳ない気持ちになったり。


今まで、勉強にしろ、仕事にしろ、(恋愛はtrickyではあるが)

基本的にどんなことでも、「努力すれば叶う」と思って生きて来た。


でも、それは自分が極めて恵まれた環境にいただけであって、

特に体に関わることは、自分の思う通りになるとは限らないと思い知った1年だった。


「子供ができなくても、二人で楽しく暮らせばいい。」


そう言ってくれる旦那さんに感謝しながら、

勿論できるための努力はするけれど、

じゃあ、漠然と思い描いていた将来像から「子供」というのが無かった時に、


本当に自分がやりたいことは何なのか?


という疑問が湧いて来て、

その問いと真剣に向き合う時間となった。


結果、

自分がやりたいことはきちんとやろう。

まず、留学しよう。と心に決めた。


子供を諦めたわけでは無かったけれど、

結果を恐れて真にやりたいと思うことを後伸ばしにする

理由にはならないと気づいたからだ。


「タイミング」という呪縛を恐れ過ぎず、

ただただ、周囲の雑音に惑わされずに自分の信じることをやれば良いのだと。


だから、結婚4年で合格通知と妊娠発覚とが同時に来た時も、

「どちらかを選択する」のではなくて、

「両方できる道を考える」ことにしたのだ。


女性である限り、タイミングの亡霊は追って来るし、

選択を迫られるのは仕方ない。

そして、選択にはトレードオフがある。


でも、周囲の「常識」的なものに惑わされず

結果がどうあっても、自分が後悔しない選択をして

一所懸命生きるしかないのだ。


だから、図らずも子連れ留学となったわけだが、

それは本当に有難いし幸せなことだ、と思っている。

全てのことは、「今でしょ!」なのだ。


***


ところで、少し前のことだが、


同じ世代女子である鈴木貴子衆議院議員の妊娠・出産のニュースを見た。

任期中の妊娠・出産について批判の声もあったようで、

同氏のブログへのコメントには、、

「職務放棄」だの

「家族計画ぐらいタイミングを計ってやれ」だの

「一通り済ませてから出馬しろ」

と言った主旨のコメントが散見された。


どんな職業であれ、どんな生活であれ、

子供は計画したからできるものでもない。


任期中に妻が妊娠・出産した男性議員は山ほどいるはずだし、

「3年後に結婚して子供が生まれるかもしれないから、出馬するのは辞めておこうかしら、、」なんて考えていたら日本に若い女性議員は生まれない。

ましてや、「議員になるために女の人生は捨てるのです」

という考え方を強いることは到底「公僕」という範疇の話では無い。

だから、私はこれは激励すべきことだと思う。


女性が社会で活躍していくためには、

女性だけが戦うのではなくて、

社会全体が「タイミング論」の呪縛を理解して寛容であってほしいと思う。