Ameba Ownd

アプリで簡単、無料ホームページ作成

Grandia

夏に溶け込む

2022.05.07 05:23

WT/水上敏志と義足の彼女

7 カロケリ 

『水/蛍/夕焼け』

ワードパレットよりお題をいただきました

生暖かい空気を冷たい風がかき混ぜて、涼し気な夜を連れてくる。夏休みが始まったばかりのプールの水はまだ綺麗で、水面に橙色の夕焼けがキラキラと揺らめいていた。

*

蛍を見ようと誘ってきたのは水上くんの方だった。義足のために、夏休みはプールにも海にも行けない私に気遣ってそう言ってくれたのだろうということがすぐに分かって、私は申し訳なく思いながらありがとうと言った。

「俺が見に行きたいだけやから」

購買で買ったパンを食べながら彼はあっけらかんとそう言った。普段は変わりにくい表情が少しだけ柔らかくなった気がした。夏になる度に水の中で泳ぐことが出来る同級生達が羨ましかった。魚のように自由に泳ぐ彼らは強く、しなやかで美しい。水飛沫の音、プールサイドに落ちる水滴、はしゃぐ声は夏を象徴するようでなんとなく引け目を感じてしまっていた。私だけが夏の外に居る。

「待たせてごめんな」

水上くんが来た頃には、夕焼けで建物が橙色に染まっていて、彼の髪の色みたいだった。なんだか可笑しかったけど、笑うのを我慢していたら「なんかあったん?」と訝しげに尋ねてくる。首を振ってから手を繋ぐと「行こか」と自然と手を握り返してくれて嬉しかった。舗装されていない道を少し歩いて、小さな川原に辿り着いた頃には既に日が落ちてしまっていて、小さな薄黄色の光が青く生い茂った草の上にぽつりぽつりと姿を見せていた。

「綺麗だね」

「せやな」

囁くように言うと、水上くんが応えてくれる。川の向こうにはこちら側よりもたくさんいるみたいで幻想的だった。

「あっちも綺麗だね」

明るい草むらを指差すと水上くんはちらりと横目で向こう側を見た。

「行ってみるか?」

まるで当たり前のようにそう言うからびっくりした。

「え、でも川が…」

「たぶん浅いし、俺がお前抱えて行けば大丈夫やん」

何か問題があるのか?とばかりに私の目を見つめ返してくれる彼の瞳はいつもと同じで優しかった。

「手。首に回して」

言われるままに手を彼の首にやって、水上くんの肩に顔を近付けた。ほんのりと汗の匂いに混じって水上くんの匂いがする。

「…重かったら、無理しなくていいからね」

「ん」

膝の裏と背中に回る温かい手にときめく。そういえば初めて出会った時もこうやって抱っこされたっけ。水上くんの手が好きだった。手を繋いでいる時も、ほっぺたを触られている時も。手のひらは大きくて、指先はとっても綺麗で、爪はいつも切り揃えられていて。そんなことを考えている間に心地良い浮遊感と共に彼に抱き上げられていた。

「行くで」

「うん」

水上くんの足が水を掻き分けて川の中へ進んでいった。ドキドキする。水の音が近い。辺りが薄暗いせいか川の水は真っ黒で少し怖かった。私は下を見ないようにギュッと首に抱きついた。水上くんが歩くのをやめた。

「怖い?」

密やかな囁き声が耳に擽ったい。小さく首を振った。

「もうちょいやからな」

励ますように言われる。

「うん」

だんだん水嵩が増してきて、もはや水上くんの膝上くらいまできていた。すると、また水上くんが止まった。

「…どうかした?」

「手、水に付けてみ」

さっきまで目を背けていた川の水面に目を向ける。水上くんの顔を見ると彼はまた口を開いた。

「プールみたいに冷たくて気持ちいいで」

その言葉に夏の青空の下で跳ねる水飛沫が頭を過ぎった。恐る恐る首に回していた腕を外して水面を撫でた。

「わ、冷たい」

水は想像よりずっと冷たくてひんやりと私の指先を包み込んだ。指先から零れ落ちていく滑らかなそれを私は何度も何度もかき混ぜるように掬い上げる。ずっと羨ましかったものがこんなにも近くに居た。結局向こう岸までは辿り着けなかった。川は思ったより深く、辺りもどんどん暗くなって危なかったからだった。水上くんが私のハンカチで濡れた足を拭いている間に私はずっと水上くんを見つめていた。いつも私が羨ましそうにプールサイドを見つめていたことを彼は知っていたのだろうか。知っていたんだろうな。だからここに連れてきてくれたんだ。優しいな。嬉しいな。もっと好きになっちゃうな。そう思って火照る頬に冷えた手を当てていると水上くんは顔を上げて私の方を見た。

「ハンカチまた今度洗って返すわ」

「え、いいのに」

「あかんやろ」

「そうかな?」

水上くんは私のハンカチをズボンのポケットに仕舞った。

「帰ろか」

言いながら差し出された手を迷わずに繋いだ。

「うん」

暗くなった道を2人でゆっくりと歩く。

「また…蛍見に来よな」

「うん」

温かい彼の手が強く私の手を握り返して、幸せだなと思った。夏が随分、近くに居るような気がした。