天何をか言うや
Facebook近藤裕子さん投稿記事《天何言哉 四時行焉》
百物生焉 天何をか言うや 四時行われ 百物生ず ー論語ー
私が何も語らなくても 四季は巡り、生命は誕生する。
天が何を言おうとしているかを考えなさい。
これは 孔子が、孔子の教えを請い願う弟子、子貢に仰った言葉です。
無言で語りかける自然の営みの中からその真理を 自分自身で学びなさい。という意味です。人は与えられるだけでは成長しません。常に自らの目と心で学ぶ姿勢を持ち続けたいものです。
Facebook Masayo Takano さん投稿記事◼️目に見えないものを観る、聴く、感じる〜
🌐物質次元からの移行へ〜『独り言』😊
長きに渡り目に見えるものにコントロールされ続けてきた時空間
目に見えるもの 目に見える事柄…形から入る、外見が大事、第一印象…もちろん、どれも一理ある。決して等閑には出来ない。
しかし、表面的にそれらを追い求め、くっつけ、演じてみても何かが違う。
一方で、シンプルな装いで、一見どこにでもいる人のように見えても、その存在感から出たつ何かがあるひと、もの、も存在する。これらの違いは一体何なのか?
対話をすれば、その存在感の違いは明らかで、対話をすればするほどに、その違いを感じる。
太古から日本人は、自然を愛で、敵対対象ではなく、共に生きる共生の道を歩んできた。
気候的にも温暖、穏やかで、その性格が日本人の内面性を養い、育て確立してきたのかもしれない。
自然の周波数、波長に合わせ、見えないものを観て、聞こえない音を心のひだから感じとり、その恩恵や警告にあずかってきたのだろう。
自然の本質と共に生きてきた情緒が、国民性を育み、豊かな文化を継承してきた。
和歌や俳句などに凝縮された情緒や気持ちを表現し、伝える技法。
うたわれた和歌、俳句から、間接的に受け止め、気持ちやその背景、情景に想いを馳せる文化。これらの温和な波長の中に"本質"が込められていた長きにわたる文化、伝統。
それらが、戦後からじわじわと"崩壊させる目的"により、じわじわと学ぶ機会や日常から消されつつきた今日。
古き良き書物に触れることの限りなく少ない教育環境。
そのかわりに表面的な伝える教育や論理力に比重をしめられ、肝心な"伝える中身"を自身の人生経験から醸成する機会も奪われてきた洗脳教育。
数値という一側面による偏重思考。それにより大切なものを失い続けてきた歳月。
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自分とは、何なのか? 自分とは、何のために存在しているのか?
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決して、"今だけ、金だけ、自分だけ"を意識的、無意識的に求めていても、決して満たされることがないことに、もうそろそろ気づく時。
自然や人々から分断し、二項対立という構図の中で問題点を上げて、問題解決しても、それらは、"本質"を見過ごしているだけの虚しいソリューション。
見せかけの下手な劇団劇は、終了。
そろそろ地球、自然、人々の"本質"が抑え切れなくなってくる時にきている。
見ている現実 見させられている現実。
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それらの本当の姿はどこにあるのか?それらの"本質"は一体、何であるのか?
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"そもそも"論で考え、その背景を冷静に観ていく。目を見開いて、現象の大元を観る
聞いている情報による大元を聴く、そして、自身の湧き立つ感情を俯瞰してみる。
現象を思考で分析、判断せず、心身全体、肌感覚で感じてみる。
深い自分は何に反応しているのか?そして、なぜそのように反応し、感じるのか?
頭を休ませ、長きにより眠らされ続けてきた”感じる感覚”を呼び覚ませ‼️
もう本当に、目を覚そうぜーっ‼️^_^
https://www.chintai.net/news/2019/11/19/49211/ 【俳句は難しくない!俳句づくりのコツを知って“心のシャッター”を気軽に切ろう】より
気軽に俳句を始めてみよう
肌寒くなると同時に、紅葉や夕日、高い空など、日常の景色も美しくなる秋。
近所を散歩している時、部屋の中で窓からふと赤い陽が差してきたりした時、「この気持ちを何かにとっておきたいな」と思ったことはないだろうか。
夕日とススキ
素敵な景色も気がつけば記憶が薄れてしまう…。
そこで薦めたいのは「俳句」だ。難しい印象を持つ人もいるかもしれないが、守るべきルールは実はそんなに多くない。趣味としての気軽な俳句づくりを紹介しよう。
俳句で一番大事なことって何?
俳句といえば「5・7・5」のリズムで「季語」を入れるものだ、と認識している人が多いと思う。だが、じつはそれよりももっと大事なことがある。
それは、「一瞬の心の動きをつかまえる」ということだ。
たった17字の短い句の中に詰め込める情報量は多くない。だからこそ、俳句を詠むときは「自分が心を動かされた何か」にじりじりとピントを合わせて、その気持ちの姿を探っていく必要がある。
たとえば、夕陽がとても綺麗な瞬間に、坂の上から手をつないだ親子が降りてきて、そのシルエットに自分の子供時代を重ねてセンチメンタルな気持ちになった……としよう。
17字の中に入れるのは「親子」か「影」か、「大小二つの影」とした方がいいか……など、どんな言葉を選べば自分の感動に最も近い組合せになるか、を考える。俳句をやっていて一番楽しい作業(そして一番難しい作業)は、こうして言葉を選ぶことだ。
この一連の作業と工夫は、よく「心のシャッターを切る」と表現される。スマホやカメラで綺麗な景色の写真を撮る時、僕たちはその景色と一緒に自分の感動も残しておきたいと考える。俳句も一緒で、その時の一瞬の心を、シャッターを切るように短い詩に転写できるのが楽しいのだ。
5・7・5と季語について知ろう
俳句を書く人
俳句の決まりごとをおさらいしよう!
俳句の楽しさがわかったところで、簡単な決まりごとと、実際の作り方を紹介しておこう。
やはり気になるのは、「5・7・5」のリズムと「季語」を入れるという決まりだと思う。
「5・7・5」に関しては、なんとか表現を工夫してその枠に収めるしかない。俳句の上級者でも、俳句がぱっと「5・7・5」の形で思いつくという人は少なく、大抵はウンウン頭を捻りながら言葉を選んでリズムに乗せているようだ。
もう1つのルールである「季語」は、俳句の中でとても重要な要素だ。たった17字しかない俳句に自分の心を託せるのは、ほとんど季語のおかげと言ってもいい。普通の言葉に比べて「季語」はものすごい情報量を持っていて、その季語と自分の言葉を組み合わせることで、何億通りもの心情やシーンを表現できるからだ。
「季語」の情報量はすごい
たとえば、「秋の空」という季語がある。
「秋の空」と聞けば、大抵の人は澄み切ってどこまでも高い青空を連想するのではないだろうか。涼しくからりとした空気の下、冬の気配を遠くに感じながら、ぽっかりと広がる青空を見上げているような景色――このように何十字もかけて説明した情景は、「秋の空」というたった5文字の季語だけで全て表現できてしまうのだ。
この、季語の持つ”情景の力”に自分の気持ちを託すことで、俳句は1枚の写真のような豊かな景色を持つことができる。例として、「秋の空」を使った俳句を1句紹介しよう。
“去るものは去りまた充ちて秋の空”(飯田龍太)
たったこれだけのことしか言っていないのに、「秋の空」という季語と組み合わさることで、その奥にある深いストーリーを感じることができる。秋の空をふと見上げて、今まで関わった人やもう会えない人、最近知り合った人など、自分を取り巻くいろいろな人についてふと思いを巡らせる瞬間。からりとして、でもどこか寂しい秋の空のような心情。その一瞬の心にシャッターを切った秀句だ。
季語は、「歳時記」という季語を集めた辞典に載っている。「秋の空」や「夏の海」みたいな分かりやすい季語もあるが、例えば「香水」がどの季節の季語かは歳時記を引いてみないと分からなかったりもする。歳時記はスマホアプリでも販売しているし、無料のものもあるので、俳句にハマり始めたらぜひ読んでみてほしい。
スマホで写真を撮るように気楽に詠もう
秋の空
何かを感じた時は俳句を詠んでみよう!
詠み方に決められた順番はない。
何かを感じて「この気持を残しておきたい」と思った時、スマホやメモ帳を取り出して5・7・5の言葉を書けばもうそれは俳句だ。季語を使えばより奥深く、綺麗に5・7・5に収まればより美しい俳句になる。
自宅でも、外でも、何かを感じた瞬間が俳句の詠みどきだ。スマホカメラで景色や物を撮るくらいの気軽さで、まずは始めてみてほしい。