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「『厳しいこと』が『正しいこと』だとは限らない」のこと。

2022.05.07 18:37

「役者の世界は厳しい」

「芸能界は厳しい」


みたいな言葉が一人歩きして


なんだか


「厳しいこと」=「正しいこと」

みたいになっていってしまっている部分ってあるような気がして




たとえば


舞台の稽古中や演劇のワークショップ中に


怒鳴られたり、

罵詈雑言を浴びせられたり、

人格否定されたりすることがあっても



「厳しいこと」=「正しいこと」


っていう概念があると、必然的に


「厳しいこと」を言われている自分が「悪い」


っていう考えになっていってしまうのかなあ。

ということを最近思ったりしてます。



僕が子供の頃もそうだし、

大人になってからもそうだけど、


「怒るのは、パワーのいることだから、どうでもいいと思っている人に対して、わざわざ怒ることはしない」


「厳しさは優しさ」


「叱るのは、愛があるから」


というような言葉をたくさん耳にしてきたし、


実際、

僕も今まで色んな方に色んなことで怒られてきた人生で、


そのたびに、申し訳ない不甲斐ない気持ちになるのと同時に、

そうやって言ってくださることは、有難いことだと感じていますが…


正直

そうじゃないパターンもあると思っていて、



言いたいことを言うことで、気持ちがスッキリしたり

厳しいことを言っている自分に酔ったり

偉くなった気分に浸ることで、それがストレス発散になったり


中には、そういう人だって、いると思うのです。



”怒るのは、愛があるから。”


全てが全て

そうとは限らないし


必ずしも

「厳しいこと」が「正しいこと」ではないと思います。


想いを持って、叱ってくれるひともいれば、

そうじゃないひともいる。


その、刷り込みや呪縛から、

早めに解かれてほしいなあとも、思います、、



小学生のころ、好きだった絵本で

五味太郎の「正しい暮らし方読本」っていう絵本があって、


これは今の自分の考え方のルーツになっている一冊かもしれないなあ、なんてことを時々思い出します。


これは改めて多くの人に読んでほしいなあ。