印象派の誕生と衝撃
例年、美術展の入場者数ランキングの上位を占める印象派絵画。2016年「ルノワール展」(国立新美術館 67万人)、2015年「マルモッタン・モネ美術館所蔵 モネ展」(東京都美術館 76万人)、2014年「オルセー美術館展 印象派の誕生 ―描くことの自由―」(国立新美術館 70万人)。明るい色調、抒情性に加え、日本人にとってギリシア神話やキリスト教の知識を特に必要としないわかりやすさがその原因なのだろう。しかし、誕生当時の印象派に対する反応は今とは全く違っていた。第1回印象派展(1874年)に出品され、『印象派』の名前の由来にもなったモネの「印象、日の出」は「描きかけの壁紙でさえ、この海景に比べればずっと出来上がりすぎてる」(ルイ・ルロワ「印象派の画家たちの展覧会」【1874年4月25日シャリヴァリ紙】)、「キャプシーヌ大通り 」に描かれた人物群像は、「涎のあとのように見えるあの無数の縦長の黒いものはいったい何を表しているか」と評された。第2回印象派展(1876年)に出品されたルノワール「習作 陽光を浴びる裸婦」に至っては、「ルノワール氏に女性の上半身は、緑や紫のしみのある腐敗した肉の塊などではないのだと説明してあげよう。こんな色のしみは死体が完全な腐敗状態にある時にできるものだ」(アルベール・ヴォルフ【『フィガロ』紙】)とまで書かれた。さらに、妊婦の入場を止める警官の風刺画、印象派の絵で敵兵を打ち負かすトルコ兵の風刺画まで現れた。しかし、印象派の画家たちははおのれの信じる美の世界を描き続けた。そして美の基準、人々の美意識自体まで変革し、美の世界を征服していった。
(ルノワール「習作 陽光を浴びる裸婦」 オルセー美術館)
(モネ 「印象、日の出」 パリ・マルモッタン美術館)
(モネ「キャプシーヌ大通り 」プーシキン美術館)
(第2回印象派展の風刺画)
「奥様、『印象派展』の会場に入るのは危険です。お引き取り下さい!」
(第2回印象派展の風刺画) 印象派の絵で、敵兵を打ち負かすトルコ兵